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F1界で輝き続ける日本人たち。
元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ! 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph bySutton Motorsport Images/AFLO

posted2012/01/28 08:01

F1界で輝き続ける日本人たち。元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ!<Number Web> photograph by Sutton Motorsport Images/AFLO

2009年、フェラーリのテクニカルディレクターであるアルド・コスタ(当時)と会話する浜島裕英。浜島の優れた資質は、フェラーリだけでなくブリヂストンのタイヤを使用する全てのチームが認めるところだった

 1月24日、一人の男が日本を発ち、イタリア・マラネロへ向かった。

 浜島裕英、59歳。

 定年まで、あと1年を残しての華麗なる転身である。

 浜島がブリヂストンに入社したのは、1977年。大学院から新卒で入社した浜島は、4年後の'81年からブリヂストンのモータースポーツ活動に従事する。F1に参戦した'97年からは現場責任者として指揮を執り、多くの栄光をブリヂストンにもたらした。F1参戦14年間で獲得した勝利は175勝。その中には、欧米の二大メーカー、グッドイヤーとミシュランとの戦いを制して挙げた輝かしい勝ち星もある。

 F1撤退後の2011年は、タイヤ開発第2本部付フェロー(本部長)として、ブリヂストンのモータースポーツ活動の再編を断行。本人は定年後も再雇用してもらい、生涯ブリヂストン社員で全うする気構えでいた。そんな浜島が一転、安定した未来を捨ててチャレンジに出たのである。しかも、そのチャレンジはF1の名門フェラーリに移籍して、チームを再びチャンピオンへ復活させるという壮大なものだった。

フェラーリからの熱烈なオファーに浜島の心は揺れた。

「定年後もブリヂストンで5年間ぐらい仕事をして、引退した後は年金生活を送るつもりだった」という浜島の気持ちを揺さぶり続けたのは、フェラーリからの猛烈なラブコールだった。最初のアプローチは、ブリヂストンにとってF1ラストイヤーとなった'10年。フェラーリのチーム代表を務めるステファノ・ドメニカリから、「'11年からウチで仕事しないか」という誘いを受ける。

 しかし、浜島はブリヂストンのリーダーとして、F1撤退後の組織の再編を行わなければならず、「その仕事を放り出すことはできない」と要求を固辞した。そして、F1を撤退。浜島はF1との縁は完全に切れたと感じていた。

 そんな浜島に'11年の春先、再びコンタクトしてきたのがドメニカリだった。ただし、このときはまだ組織変更の真っ只中だったため、浜島は丁重に断った。それでも、フェラーリはあきらめなかった。夏場になってから「もう、仕事は一段落付いただろう?」とドメニカリが連絡を入れてきたのである。

【次ページ】 モンテゼモロ会長直々の要請に移籍を決意。

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