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いきなり監督で大丈夫!?
日本ハム栗山新監督、名将の可能性。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKYODO
posted2011/11/26 08:01
目指す野球は「ハラハラドキドキする野球」という栗山監督。「今後10年間は4番を打てる、長打力があって率も残せる選手を育てるのが課題」と、さっそく来春の方針を披露している
経営面への配慮を見せチーム運営を行う栗山新監督。
11月12日から視察をスタートした栗山氏は、初日から全選手複数ポジション構想を打ち出した。
「選手層が厚いわけでもなく、補強に使える潤沢な資金があるわけではないので」
かつてボビー・バレンタインが千葉ロッテ時代にこの全選手複数ポジション構想を打ち出してチームを優勝に導くなど成果を収めているが、近年でも埼玉西武が浅村栄斗ら若手選手の出場数を増やし覚醒に結び付けている。
栗山氏自身もプロ入り後、遊撃手から中堅手に転向して成功した経験があるが、その経験を生かし、今一度全選手の守備適性を確認した上で一人二役、三役を求め、戦力の拡大を図ろうとしているのではないか。
こうした経営面にも配慮して采配を揮うやり方は、将来GMになるのが夢という栗山氏らしい発想だと感じた。
選手の自主性を重視した三原脩氏の采配を目標に掲げる。
野球解説者およびスポーツキャスター時代、数多くの取材を経験した栗山氏が、その取材の中で最も感銘を受けた存在として名前をあげたのは「昭和の魔術師」と謳われた三原脩氏だった。
「やりたいことはやりなさい、いいたいことはいいなさい。が、与えられたことはきちんとやらなければいけないよ」(『風雲の軌跡』三原脩著/ベースボール・マガジン社)
そう言って選手の個性を尊重し采配をふるっていた三原氏。
西鉄監督時代の自身の野球を「遠心力野球」と称し、数々の奇跡を起してきた。
そんな三原氏が残した数々の逸話のなかで、もっとも「遠心力野球」を感じさせる逸話は、1958年の日本シリーズ第5戦、豊田泰光氏に決めさせた送りバントのシーンである。
スコアは2対3、巨人に1点リードされて迎えた9回裏無死2塁。
なんとしても同点に追い付きたい西鉄ベンチとしては、4番中西太の前に走者を3塁へ送りたい場面だった。
ここで、三原氏は豊田に「打ってみるかい?」と一言だけ耳打ちをしたという。