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尾花新監督は横浜を変えられるのか?
問われる「名参謀」の“決断力”。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2010/03/14 08:00
1976年にPL学園高校を卒業している尾花監督。PL出身者としては初のプロ野球の監督となる
「名参謀」で終わるのか? それとも、「名監督」へ向けて新たな一歩を踏み出せるのか?
今シーズンから横浜で指揮を執る尾花高夫の、指導者としての真価が試される1年がスタートした。
ルーキー監督は、キャンプから大胆に動き出す。
まず、昨年まで午前中に組まれていたブルペンでの投球練習を午後に回した。これには、「疲れている状態で、バランスよく無駄な力を入れずに投げることを体で覚えてもらいたい」といった意図が込められている。巨人のコーチ時代に導入していたメニューを、そのまま横浜にも取り入れたわけだ。
そして、体の強さはもとより、昨年、守護神として18セーブを挙げた山口俊のメンタルを買い先発転向を指示。彼を含め、エースの三浦大輔、ロッテから移籍した清水直行、2年目のランドルフ、寺原早人(隼人から改名)の「先発5本柱」でシーズンを戦う意志を早くも固めた。
2年連続最下位と低迷するチームにあって、このような改革を俊敏にできる尾花の手腕は、さすがのひと言に尽きる。
そして、やはり「名参謀」と呼ばれていたコーチ時代の経験が確実に生きているのだな、とも思う。
投手出身ながら捕手の目線で指導できる「名参謀」。
'95年のロッテからコーチ人生がスタート。'97年にはヤクルトに移り、田畑一也を15勝投手に成長させるなど、「野村再生工場」の陰の功労者として脚光を浴びた。
ダイエーでは、'99年から'05年までコーチを務めリーグ優勝3回、日本一2回。その期間に斉藤和巳や和田毅、杉内俊哉といった金の卵たちを、球界を代表する投手へと見事に孵化させていった。
巨人時代も磐石の投手陣を作り上げ、在籍期間にリーグ3連覇。昨シーズンは、02年以来となる日本一に大きく貢献した。
尾花がなぜ「名参謀」になれたのか?
それは、投手目線ではなく捕手目線で指導できることだ、と尾花同様、名参謀として数多くのチームを優勝に導いた黒江透修氏は言う。
「現役時代に広岡(達朗)さん、選手、コーチ時代に野村(克也)さんから、徹底的に緻密な野球を教え込まれたことが生きているんだと思いますね。ダイエーに呼ばれたのも、王(貞治)さんが彼の育ってきた経緯や野球理論を高く評価していたから。事実、投手ミーティングでは自分で用意した膨大な資料を見せて、『このバッターのインコースの打率は低い。だから、そこを起点に攻めろ』など、明確な対策を選手に伝えていたそうです」
黒江氏は、「横浜ではおそらく投手コーチ兼任のような立場になるでしょうね」と言う。
これまでの実績を考えればそのほうがチームにとってもプラスに働くだろう。