カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:東京「ラグビーは分かりやすい。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2006/01/13 00:00
「結果至上主義」が危険な考え方だということを改めて感じる。
ラグビー学生選手権の決勝の結果がそれを物語る。
ラグビーと比べてサッカーは実力が結果に反映されないのだから。
新年2度目の日曜日。僕は国立競技場の当日券売り場に並び、1500円で自由席のチケットを買い、バックスタンドの最上部に腰を掛けた。
起床したのは正午過ぎ。世の中に乗り遅れた感じがしたので、寝起きのままシャワーも浴びずに外出。コンビニでスポーツ新聞を買い、その足で「UAカフェ」へ向かった。
その目の前にはユナイテッドアローズ原宿店がある。この辺りの裏原宿一帯は、言わずと知れたショッピングゾーンだ。時は3連休の中日。そのうえ「セール」の真っ直中でもある。辺りは幸せそうな人々でごった返していた。
彼らにとって、それは「お出かけ」に値する。間違っても寝起きではないので、格好もそれなりだ。バッチリお化粧を決めたお洒落系、綺麗系と呼ばれる女性軍と、寝ぼけ眼の僕との間には著しい落差がある。男に生まれて助かったと思う瞬間だ。もし僕が女性ならこの辺りをノーメイクでは歩けない。コンビニへ行くにも、お出かけルックでないと恥を掻く。近隣住民だからという言い訳は利かないのだ。「UAカフェ」にだって、気楽に入ることはできないのだが、男の僕は幸いにも、何か悪い?と開き直ることが出来る。カウンターに居座り、H系のページが中に紛れ込むスポーツ新聞を、堂々と広げることだって出来る。早い話が、ただの困ったオヤジなのだけれど、スポーツ新聞の中でふと目に止まったのが、ラグビーの学生選手権の記事だった。決勝戦のキックオフは午後2時。その時、時刻は1時46分を指していた。これはちょいと覗いてみるかと思い立った僕は、早速、徒歩数分の距離にある国立競技場に向かった。
国立競技場を訪れるのは2日連続だ。前日の土曜日には、高校選手権の準決勝を観戦した。元旦にも天皇杯を観戦しているので、これが新年3度目。高校選手権の決勝が行われる月曜日を加えれば、早くも4度目を数える。
初詣に出かける気分とそれはよく似ている。お正月よいつまでもと、永遠に晴れ晴れとしていたい僕の気持ちは、サッカーだけでは収まらない。おのずとラグビーの試合にも関心は向く。
バックスタンド最上部からは、記者席のある正面スタンド側からは望めない雄大な眺めが堪能できる。正面スタンドの頭上には、新宿の高層ビル街が、描かれた絵のようにくっきりと浮かび上がっていた。
そんな中で早稲田は関東学院を相手に、スコアを順調に積み上げていった。早稲田に縁もゆかりもない僕は、みるみるうちに開いてゆくその点差を、恨めしく思った。そして気がつけばイメージを、サッカーと重ね合わせていた。41対5というその最終スコアは、サッカーに置き換えるとどうなるのか。4−0もあるけれど、1−0の場合もある。そこにサッカーというスポーツの特性があると僕は思う。
トルシエジャパンが2001年に「スタッド・ドゥフランス」で、フランスに0−5という大敗を喫したが、あれはラグビーに例えれば100差ゲームだった。続いて行われたスペイン戦は0−1だったが、これもラグビーに例えれば0−70ぐらいの試合だった。ラグビーはある意味でとても分かりやすいスポーツだ。実力差がストレートにスコアに反映される。反映されすぎの嫌いさえあるんじゃないかと思うほどに。一方のサッカーは分かりにくい。曖昧であり複雑だ。番狂わせも頻繁に起きる。内容的には0ー70でも、結果は0−1だったりする。結果から想像を巡らす要素は、ラグビーより断然多いのだ。ケンケンガクガクの議論も、サッカーの方が起きやすい環境にある。
結果が全てという結果至上主義は、むしろラグビーにこそ当てはまる考え方。サッカーを語る時、結果を最大の拠り所にするのは危険だ。ラグビーのスコアに照らせば、どうなるのか。この見方は、サッカーを語る上で意外に有効な視点になる。
試合後、再び「UAカフェ」へ。ここには年末に発売になった僕の新刊「サッカーだけじゃ、つまんない。」じゃなかった「ワールドカップが夢だった。」の中で使用されている赤木真二カメラマンの写真が数点ほど飾ってある。店内のムードにもよくマッチしていて居心地の良い空間になっているので、この辺りにショッピングに立ち寄った方は、是非「UAカフェ」へ。もしかしたら、カウンターでスポーツ新聞を眺めている、寝起きのスポーツライターに出会えるかも??
なんて冗談はさておき、僕は、帰宅しシャワーを浴びると、そのすっきりとした気分とは裏腹な、乗り気のしない作業を行った。パソコンの画面に向かい会い、W杯の1次リーグで観戦する試合を、インターネットを通して申請した。乗り気がしない理由は簡単だ。5か月も前から、W杯モードに浸ることに面白みを感じないからに他ならない。「ワールドカップが夢だった。」なんて前景気を煽るような本を出しておいて何事だ!と怒られそうだが、それはそれ、これはこれ。出来れば、W杯本番まで静かにしていたい。頭を真っ新にしたままで本番を迎えることが僕の理想。その1ヶ月間が滅茶苦茶面白いことは分かっている。だったら、その直前まで他のことで盛り上がっていたい。これが本音だ。欲の深い人間なのである。
とはいえ、W杯の旅のスケジュールを練ることは嫌いじゃない。試合はたったの2時間弱に過ぎない。それ以外はほとんどが旅だ。これがW杯の現実である。主役はむしろ旅にある。試合は見てのお楽しみ。そういう意味では素人を貫いていたいのだけれど、残念ながら、僕は玄人だ。偉そうな言い方で恐縮ですが、素人か玄人かと言われれば、玄人になる。何かを言わなければならない宿命を抱えている。上手く逃げる方法はないものか。僕はいま、贅沢な悩みに頭を痛めている。