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日本の“ものづくり魂”から生まれた、
上村愛子の金メダル・ブーツ。 

text by

茂木宏子

茂木宏子Hiroko Mogi

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photograph byKYODO

posted2010/02/09 10:30

日本の“ものづくり魂”から生まれた、上村愛子の金メダル・ブーツ。<Number Web> photograph by KYODO

ヨーロッパのトップアスリートもレクザムでメダルを狙う。

 一方、ブランドイメージの向上も図ろうと、ヨーロッパ市場への参入も試みた。ノルウェーやドイツ、オーストリアのスキー連盟公式用品委員会(俗にスキープールと呼ばれる)にブーツメーカーとして登録。高額の登録料はかかったが、トップ選手に用具を提供するチャンスも生まれた。

 レクザムの名をヨーロッパで最初に知らしめたは、オーストリアの新星ニコール・ホスプ(トリノ五輪女子回転の銀メダリスト)だった。彼女は近所に住んでいたライトナーの勧めで14歳の頃からレクザムを愛用。ワールドカップの2002年開幕戦で女子大回転に出場し、見事に初優勝を飾ったのである。

 トリノ五輪直前には2004年ワールドカップ男子回転の王者であるライナー・シェーンフェルダー(オーストリア)と契約した。低温下でもやわらかく反発力のある独特のブーツシェルは、深い前傾でポールを攻める彼の滑りにフィット。採用テスト時には好タイムを連発した。「数ヶ月の間に金型を4~5回もつくり替え、彼のために50足はつくった」という苦労は伴ったが、トリノ五輪の男子回転でシェーンフェルダーは日本の皆川賢太郎をわずか0.03秒上回り、銅メダルを獲得したのだった。

上村が最新のターン技術に適応できなかった理由とは。

 こうして実績を積み重ねてきた林たちが、バンクーバー五輪で最も期待しているのが上村だ。しかし、彼らには1つの大きな悩みがあった。レクザムのブーツはカービング技術に対応すべく年々進化しているのに、上村は「変えたくない」と拒み続け、2001年につくったブーツと同じモデルを6年間も履き続けていたのである。外反母趾による足の痛みがよほどトラウマになっていたらしい。

写真上村愛子とブーツの機能について話し合う林(写真左)

「さすがに私もシビレを切らしましてね。2007年5月に挨拶に来たときに“毎日のトレーニングが大事なことはわかるけど、ウチに来てブーツの調整に時間をかけることだって大事なことなんだよ。本当に勝つ気があるの? ぼくらは勝つためのお手伝いはするけれど、その気がないならサポートしないよ”と、強い口調で言ったんです。大事な五輪で勝つための準備をするのなら、もうあまり時間がなかっただけに黙っていられなかった」

 モーグルの採点で重要なポイントとなるターンは、横にずらすターンからカービングターンへと移行しつつあったのに、上村はまだ昔ながらのターンをやっていた。6年も前につくったモデルでは、カービングターンをやりたくても性能的にできなかったのだ。そこで最新のカービングターン対応モデルを、2日間かけて彼女の足に合うように調整。半ば強制的に変えさせたのだった。

【次ページ】 新モデルのブーツで“エアの上村”から“ターンの上村”へ。

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