バンクーバー五輪 匠たちの挑戦BACK NUMBER
日本の“ものづくり魂”から生まれた、
上村愛子の金メダル・ブーツ。
text by
茂木宏子Hiroko Mogi
photograph byKYODO
posted2010/02/09 10:30
アルペン競技で表彰台に立てるブーツをつくるために。
レクザムの製品は、最近でこそゲレンデでも見かけるようになってきたものの、まだまだその名を知らない人も多いのではないだろうか。「アルペン競技で表彰台に立てるようなブーツをつくりたい」と、19年前に日本の大手ブーツメーカーを飛び出した15人が立ち上げた新興ブランドである。
リーダーの林は以前勤めていたメーカーで開発責任者をやっていた。「モノづくりに賭ける情熱や技術は誰にも負けない」という彼の思いは競技選手が使う質の高いブーツづくりに向いていた。一方、会社はセットスキーやレンタル向けの安価なブーツに重きを置くビジネスを展開しており、社長に掛け合って上級モデルもつくらせてもらったが、スキー専門店で国産品はまったく相手にされず、気がつくと数千円の値で量販店に並んでいる有り様だった。
「スキーブームが去って会社に余裕がなくなると、部下が次々に辞めていきました。私自身もスキー業界に別れを告げようと覚悟を決めたんです。でも、その矢先に部下の1人が工場でプレス機に挟まれて亡くなってしまいまして……。彼の死が私に何かを問いかけているんじゃないかと感じ、“自分たちで新たなブーツをつくったらええんちゃうか”と思い直すことができたんです」
一念発起した林の頭に、協力してくれそうな企業として真っ先に浮かんだのが電子部品や精密機械加工品等の製造販売を手がける隆祥産業(現レクザム)だ。もともと繊維関係から身を起こした会社で、ブーツのインナー部材を供給してもらうなどで以前からつながりがあった。財政的にも良好と聞いていたので「世界に通用するスキーブーツをつくりたい」と相談を持ちかけたところ、林の夢に社長(現会長)が共感し乗ってくれた。志を同じくする仲間14人を引きつれて、同社の中に異色のスポーツ事業部を発足させたのだった。
たとえ多額の赤字を目の前にしてもポリシーは曲げない。
「当時、スキーブーツといえば『ラング』が人気でね。定価販売にもかかわらず、シーズン前の10月には売り切れてしまう最強ブランドでした。私も“あんなブーツをつくりたい”と憧れましたよ」
初年度は、これまでに培った技術と経験、スキーへの思いの丈を投入すれば新参メーカーでも1万足は売れるだろうと、7000足分の部材をラングの母国イタリアから仕入れた。しかし、ブランド志向の強いスキー市場は予想以上に手強く、最初に出荷した700足のうち売れたのは半分以下のわずか300足。真っ青になった。
4年目までは毎年1億~1億5000万円の赤字を出し続け、累積赤字は一時6億5000万円に達したという。しかし、「自分たちのポリシーを貫きなさい」という社長の支援もあり、現場は開発に専念。若手社員をスキー産業の中心地オーストリアに6年間留学させ、スキー業界の公用語であるドイツ語とチューンナップ技術を学ばせた。現地で得た様々な情報や人脈は、その後のモノづくりに大いに生かされていく。