セリエA コンフィデンシャルBACK NUMBER
ゼロからの出発・中田英寿。
text by
酒巻陽子Yoko Sakamaki
photograph byYutaka/AFLO SPORT
posted2004/08/10 00:00
中田英寿のフィオレンティーナ入りに驚きの念を禁じ得なかったのは、おそらく私だけではないだろう。移籍先の最有力候補であったボローニャが交渉を断念した時点で、中田の行き先はフィオレンティーナに限られ、遅かれ早かれ、ヴィオラ(紫=フィオレンティーナの愛称)のユニホームに袖を通すことが想像できた。しかしあれほどプレミアリーグ行きを切望していた中田が、なぜセリエBから昇格したばかりでセリエA残留をチームの目標に掲げるフィオレンティーナへの移籍を決意したのだろうかという疑問が残った。
「ゼロからの出発」。6年前のペルージャ移籍時と同じ言葉が、フィオレンティーナ入団会見の席上における中田の口からついて出た。その一言が、彼がフィオレンティーナに決めた大きな理由だととっさに悟った。
プロ入り9年目にして、初めて見舞われたケガによる長期離脱。サッカー選手の職業病とも言える「恥骨結合炎」が、ある意味で順調だったキャリアに暗い影を落とした。
「故障を治すことが先決」と、別のナカタが耳元で囁いたのだろう。再出発を心に決めた中田は、憧れのチャンピオンズリーグ出場や、イングランドでのプレーを一時棚上げにした。ボールを蹴ることができない状態から一刻も早く再起するためには、プレッシャーの少ない最下位チームでスタートするほうが、むしろ好都合だったのかもしれない。
中田は、フィオレンティーナを新天地に選んだ理由をあえて語ろうとしなかった。唯一、「フィオレンティーナが僕に好きなポジションでプレーさせてくれると言ったから」と話し、司令塔でプレーできる可能性の大きさがフィオレンティーナとの契約書にサインをする決め手となったことを明かした。
「司令塔」。言うまでもなくそれは、新人ながらもセリエAで2ケタ得点を挙げ、イタリア全土にナカタの名を轟かせるに至った、ペルージャ時代のポジションである。一方、司令塔以外では、持ち前の器用さで遜色ないプレーを見せはしたものの、彼が個人的な目標とする、より多くのゴールに絡むという状況には至らなかった。
好きなポジション、つまりトップ下でプレーできないという逆風に耐えながら、監督の信用獲得に努めてきたローマ、パルマ時代。さらにマッツォーネが率いるボローニャでは、恩師のためにと献身的なプレーにいそしんだ。しかし一度司令塔として脚光を浴びた者は、そのポジションの魅力を忘れることはできない。その思いが、今回の「司令塔再奪取」のための秘めたる決意につながったのだと思う。
「(司令塔は)プロになってから、常にプレーしていたポジション」
中田は、決断の甘さゆえにチームの犠牲となった過去の苦い経験をかみしめつつ、司令塔でプレーしたいという姿勢を前面に打ち出した。自分が信念を持って宣言しただけに、その言葉には重みがあった。
また、かつてアントニョーニ(元イタリア代表。1982年ワールドカップの優勝メンバー)、バッジョ、ルイ・コスタなどといった優秀なファンタジスタを輩出したヴィオラで司令塔としての再起を図ることは、この上ないシナリオでもある。
しかし、いまだチームが確立していないモンドニコ采配において、果たして中田が司令塔の座を獲得できるかどうかは、実際のところ、まだわからない。チームへの合流が遅れているため、現状認識について大きなギャップがあるかもしれないとの不安を中田自身が抱えてもいるだろう。それでも、監督は「中田には決定機を演出するリフィニトーレ(仕上げ人)に徹してもらう」とアシスト役としての働きに大きな期待を寄せ、「チームに犠牲を払うボランチの位置で中田を起用することは避けたい」とも語った。
7月29日に、2カ月ぶりとなるパス練習を始めた中田。徐々にペースを上げ、複雑なメニューもこなせるようになった現状から、「10日後にはチームに合流できる」と報告、いよいよ完全復帰の見通しがついた。来る開幕戦では、6年前と同じように、「司令塔・中田」がピッチを駆け巡ることだろう。