チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
どうなる来季のバルサの戦術。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byPICS UNITED/AFLO
posted2006/06/02 00:00
チャンピオンズリーグ決勝が終わるやいなや、世の中はW杯モードに突入した。日本の場合は、決勝戦の前からとっくにW杯モードに切り替わっている。したがいバルセロナ優勝は、思ったほど大々的には報じられていない。プレビューに比べて、レビューが少ない、メディアの好ましからざる傾向を垣間見る気がする。落とし前はついていない。
それ以上にW杯が大切なことはよく分かる。チャンピオンズリーグは欧州のクラブマッチ。所詮はよそ様の戦いだ。W杯とは切実度が違う。しかし、それはそれ、これはこれと、あっさりチャンネルを切り替えるのもどうかと思う。サッカーは一つ。根底の部分では深い関わりがある。W杯を控えたいま、そして日本代表に潜む問題点を踏まえると、とりわけそう思う。重要度の低い他人の話として、切り捨てる行為は愚かと言わざるを得ない。
バルセロナの助監督、テンカーテは、あるインタビューの時、冗談で「日本代表監督になって下さいよ」と、言うと、真面目な顔でこう答えた。「俺は、日本のことは案外知っているんだ。現代表の問題点は、ディフェンスシステムにある。俺が監督なら、2〜3か月で完璧に整えてみせる」と胸を張った。
ディフェンスシステムとは、ボールの奪い方、つまりプレスのかけ方を指すことは、それまでの話の流れから、簡単に察することができた。このインタビューでテンカーテはまず、自らが拘るボール奪取の方法について、すなわちハイプレッシングの方法について、延々と説明してくれた。図解を交え、論理的かつ明快に。
いっぽう、日本代表はいま、プレスのかけ方で、選手間に意見の食い違いがあることが表面化している。日本代表監督は4年間、いったい何を指導してきたのか。なぜ、選手間でモメなければいけないのか。監督からの指示はないのか。それが自由の象徴なのか。だとしたら監督なんか、要らないじゃないか……などなど、その次元の低さには驚くばかりだ。
かつてのバルセロナと、最近のバルセロナとの最大の違いは、ボールの奪い方にあることは、実際にそのピッチを眺めれば一目瞭然になる。このチームには、かつてから好選手が揃っていた。14年ぶりにチャンピオンズリーグを制した理由は、タレントの力だけではない。集団でボールを奪う術そのものが、欧州ナンバーワンであったのだ。
いったい、バルセロナのどこを見ていたんだ!「ジーコジャパン」を4年間野放しにしてきた人たちに対し、声を大にして叫びたい。
アーセナルとの決勝戦もそうだった。前半18分以降、アーセナルは10人での戦いを余儀なくされたわけだが、だからといってあそこまで、バルセロナに一方的な支配を許したことは、不本意だったに違いない。攻撃の糸口は、アンリの槍に頼るしかなかったのだ。
良く言えばダイレクトプレイ、悪く言えばキック&ラッシュ。アンリへのロングフィードは、結果的に、有効なカウンターになっていたけれど、ベンゲルが目指しているものとの間には大きな隔たりがあった。それは、バルセロナのボール奪回術と深い関係がある。バルセロナにその芽をことごとく潰されてしまったのだ。
バルセロナは、その意味でどこよりも規律に富んだサッカーをしたチームだといえる。唯一自由奔放に振る舞ったブラジル人の「穴」を、残りの10人が完璧に補っていた。その結果、攻撃的なチームに仕上がっていた。
規律には非娯楽的な響きがある。片や“攻撃的”には娯楽的な響きがある。規律と攻撃的は相容れない関係にあるように見えるが、バルセロナはその難題を見事にクリアしていた。
その旗を実際に振っていたのが、テンカーテであることは、その練習を見に行けば誰の目にも明らかになる。監督と助監督の関係は、裏の舞台では完全に逆転していた。そして過去3年間、バルセロナで裏の監督は、来季アヤックスの監督に就任する。そこでどんなサッカーを展開するか。バルセロナも見物だ。参謀を失ったライカールトが、真の監督としてどこまでやるか。
その前に、もちろんW杯にも注目しなければならない。ドイツの12都市で繰り広げられるサッカーゲームの「中身」について。もう少し言えば、ボールの奪い方について。奪われ方について。サッカーの本質はそこに凝縮されているといっても言いすぎではない。