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与死球の多さからみる、
小林繁の「負けじ魂」。 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph bySPORTS NIPPON

posted2010/01/28 10:30

与死球の多さからみる、小林繁の「負けじ魂」。<Number Web> photograph by SPORTS NIPPON

1979年、阪神移籍1年目に巨人戦で投げる小林。この年は22勝を挙げ、最多勝利投手、沢村賞に輝いた。通算139勝95敗17セーブ

 日本ハム投手コーチ、小林繁氏(以下敬称略)が1月17日、心不全で急逝した。

 余談だが、小林と筆者は同年齢である。1学年下の1953(昭和28)年組には落合博満(中日監督)をはじめ有名選手も多く、監督も落合、真弓明信(阪神)、梨田昌孝(日本ハム)と顔を並べるが、'52年組は今に至るまで1人も就任していない。そんな地味な印象の'52年組にあって、小林繁は花も実もあるスター選手だった。

 '79(昭和54)年、江川卓と巨人が引き起こした“空白の1日事件”によって阪神に移籍し、巨人時代の62勝を上回る77勝を記録したことほど、小林の負けじ魂を物語るものはない。また、通算記録を改めて見ると……与死球の多さに目が釘づけになる。

サイドスローながら、強気の内角攻めを貫いた。

 通算100個以上の死球を与えている投手はこれまで16人いて(下記リスト参照)、小林の111は歴代12位になるが、与死球率に直すと4割9分2厘の高率になる。これは1位の仁科時成(元ロッテ).704、2位渡辺秀武(元巨人など).622、3位村上雅則(元南海など).619に次いで4位である。ちなみに、与死球率上位5人は、左腕の村上以外すべてサイドスロー(アンダースロー含む)で、与死球100個以上の16人のうち半数の8人がサイドスローである。

 サイドスローは外に逃げる変化球で打者を打ち取るイメージがあるかもしれないが、非力な分強気に内角を攻めて打者を打ち取るというほうがサイドスローらしい心理状態だろう。

●与死球100以上の投手リスト
順位 氏名 死球数 イニング 与死球率
1 東尾修 165 4086 .363
2 渡辺秀武 144 2083.2 .622
3 米田哲也 143 5130 .251
3 坂井勝二 143 2839.2 .453
5 仁科時成 142 1816.1 .704
6 山田久志 135 3865 .314
7 足立光宏 130 3103 .377
8 村田兆治 124 3331.1 .335
9 佐々木宏一郎 122 2620.1 .419
10 平松政次 120 3360.2 .321
11 村上雅則 113 1642.1 .619
12 小林繁 111 2029.1 .492
13 高橋一三 110 2778 .356
14 小山正明 109 4899 .200
15 今井雄太郎 102 2030 .452
16 若生忠泰 100 1973.1 .456

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