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PK最弱国決定戦から8年、雌雄を決す。 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byTsutomu Takasu

posted2008/05/21 00:00

PK最弱国決定戦から8年、雌雄を決す。<Number Web> photograph by Tsutomu Takasu

 オランダとイタリアは相容れない。

 トータルフットボールを発明し、サッカーに革新をもたらしたオランダの人々は、機能美あふれるゲームをすることに無上の喜びを覚える。苦し紛れにクリアした選手には、観客席から「ちゃんとフットボールしろ!」という手厳しい声が浴びせられるほどだ。

 過程に美しさを求めるのがオランダ人なら、カテナチオの国、イタリアの人々は結果だけを追い求める。「美しいプレーをしたが負けた」というゲームは、彼らにはありえない。勝たなければ美しくないからだ。

 サッカーの哲学において、これほどかけ離れた国も珍しい。だが、共通項がひとつある。どちらもPK戦を苦手にしているのだ。

 ポルトガルで開催された2004年大会、オランダは準々決勝でスウェーデンをPK戦の末に退け、ベスト4進出を決めた。

 「これで優勝したも同然だ!」

 わたしの隣にいた、パトリックという名の若者が大声で優勝を宣言した。

 「3対0で片付けてやる」という試合前の強気とは裏腹の、薄氷の勝利。本来なら「やれやれ」という結果に彼が狂喜したのは、理由があった。PK戦に勝つ、オランダにとってはそれ自体が歴史的な快挙だからだ。過去、ワールドカップとユーロの本大会では4戦全敗。長年の呪いが解けたのだから、若者がはしゃいだのも無理はなかった。

 「PK戦という不条理なルールがなければ、我々は何度も優勝しているはずだ」

 オランダ人は、しばしば口にする。だが、イタリア人も(きっとイングランド人も)黙ってはいないだろう。'82年スペイン大会を制して以来、彼らはワールドカップで3大会続けてPK戦で敗退している。

 そんなオランダとイタリアの対決で忘れられないのは、やはり'00年大会の準決勝だ。開催国のひとつだったオランダはグループリーグを全勝で通過し、準々決勝でもユーゴスラビアを6対1と撃破。優勝候補の本命にふさわしい勝ち上がりを見せた。

 6月29日、一面のオレンジに染まったアムステルダム・アレナで、彼らはイタリアを易々と飲み込むかに見えた。序盤から津波のような勢いで攻め立て、 34分にはザンブロッタの退場によって数的優位にも立つ。だが、試合はここから奇妙な展開を見せる。10人になって窮地に立たされたはずのイタリアが、なぜか躍動し始めた。守ってもいいという「大義名分」を得たからだろうか。ゴール前を固めるネスタやマルディーニらの表情は、オランダに攻められるたびに精悍さを増していく。このあたりが、イタリアのイタリアたる所以なのだろう。やがて、あろうことか彼らは互角に近い展開に持ち込むようになった。

 オランダにとっては、まさしく悪夢だった。イタリアの粘りは素晴らしかったが、38分と65分に得たPKのどちらか一本でも決めていれば勝っていたはずなのだ。だが、名手F・デブールと大会得点王に輝くクライファートが相次いで失敗。自らの首を絞めてしまった。

 正規の90分、さらに延長の30分を終えてもゴールは生まれず、勝負はPK戦へともつれ込む。そして、敗れたのはオランダだった。4人中3人が失敗するという、嘘のような結末に終わるのである。

 敗戦の直後、代表チームからの引退を表明したベルカンプは肩を落として言い残した。

 「どうしてオランダがPK戦に勝てないのか、僕にはわからない。こういう敗北は初めてじゃないし、たぶん最後でもないだろう。馬鹿げたゲームだ。自分自身を責めるしかない」

 あれから8年、両国が久々に再会する。カンナバーロとファン・ニステルローイという、レアル・マドリーの僚友対決が見ものだが、ひとつ言えるのはPK戦での決着はないということ。オランダも、アムステルダムでの悲劇を思い出さずに戦えるだろう。

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