EURO2008 カウントダウンBACK NUMBER

果てしなき頂上決戦。遺恨の結末はいかに。 

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2008/05/19 00:00

果てしなき頂上決戦。遺恨の結末はいかに。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

いよいよ6月7日からユーロ2008が始まる。選りすぐりの16カ国だけに、グループリーグから互いに因縁を持つ、白熱必至の組み合わせが並ぶ。開幕まで8回に亘り注目の戦いを紹介する。

 サッカーの神様は、相変わらず悪戯が好きなようだ。グループリーグという早い段階で、2年前のワールドカップ決勝の対決が再現されることになった。

 「もう少し運があるかと思っていたが……」

 イタリアのドナドーニ監督は渋い表情を浮かべたが、無理もない。なにしろ、彼らは予選で激しく鎬を削った間柄なのだから。

 予選の対決では1勝1分けとフランスに軍配が上がったが、首位に立ったのはイタリアだった。彼らは敵地でスコットランドを振り切り、1試合を残して予選通過を決めたが、終了間際に生まれたパヌッチの決勝点は、フランスの勝ち抜きをも決める一撃となった。

 ウクライナとの敵地での一戦を最後に残していたフランスは、ライバルに助けられた。だが、この事実がイタリアを挑発してきたドメネク監督には気に入らなかったらしい。

 「イタリアがスコットランドに勝ったのは、わたしの挑発が彼らの意欲を高めたからだ。時間が無駄なので、試合は見ていない」

 憎まれ口を叩き、イタリアの怒りを買った。

 フランス対イタリア、グループリーグ随一の顔合わせといっていい。だが、好敵手と呼ぶにふさわしい力関係になったのは、98年にフランスが初の世界制覇を成し遂げてからだ。

 フランスは長年、叙情的で美しいがゆえに、イタリアの牙城を崩すことができなかった。だが98年のフランスは、イタリアのような所作を身につけていた。7試合で2失点しか許していない。準々決勝では、イタリアをPK戦の末に退けている。

 フランスの何が変わったのか。プラティニが語ったように、デサイー、チュラム、ジダン……多くの主力がセリエAで鍛えられ、勝利者となるための精神を手に入れたからだ。

 世界王者となったフランスは2年後、ユーロを制する。このとき、快進撃を続けるジダンと仲間たちの前に、最後に立ちはだかったのがイタリアだった。

 勝利の凱歌は、カテナチオの国に上がるかに思われた。デルベッキオの一撃で先制したイタリアは、押されながらも最後の砦を死守し、要所で鋭い逆襲に打って出る。デルピエロが決定機を外さなければ、勝負は動かなかっただろう。だが、そうはならなかった。

 ロスタイムが終わろうとしていたとき、バルテズ、トレゼゲ、そして最後にウィルトール。土壇場で追いついたフランスはトレゼゲの火を噴くような「ゴールデンゴール」によって、103分にイタリアを葬り去った。デルピエロやトッティが泣き崩れたその夜、パリのシャンゼリゼ通りには50万人が繰り出し、偉大な勝利に酔いしれた。イタリアでは激昂したベルルスコーニ(元首相)が、ゾフ監督を糾弾。間もなく、指揮官は辞意を表明する。

 因縁の対決は、「場外乱闘」を喚起する。

 2006年のワールドカップでは、決勝でイタリアが6年前の復讐を成し遂げた。

 「イタリアが我々に勝つには、2030年まで待たなければならないだろう」

 国内メディアを通じて心理戦を挑んできたプラティニに、しっぺ返しを食らわせた。

 だが、勝敗以上に世界に衝撃を与えたのは、ジダンによるマテラッツィへの頭突きだった。現役生活のラストゲームで、ジダンが退場を命じられるとはだれが想像しただろう。

 この一件はスポーツの枠を超え、人種差別問題にまで発展する。フランスと、ジダンのルーツである北アフリカから憎しみを買ったマテラッツィは反面、イタリアのヒーローとなった。インテルに所属するというのに、仇敵ミラニスタからも讃えられるようになった。

 経験豊かなベテランが核となる世界王者のイタリアか、それともナスリ、ベンゼマと若手の台頭が著しいフランスか。戦いを重ねるたびに熱気を帯びる因縁の対決は、グループリーグ3試合目。オランダも同居する「死のグループ」だけに、どちらかが撤退を余儀なくされる可能性は、決して低くはないだろう。

海外サッカーの前後の記事

ページトップ