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新庄を超える男・糸井嘉男。
その異常なパワーとセンスの原点。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2009/07/06 13:00

新庄を超える男・糸井嘉男。その異常なパワーとセンスの原点。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

 自らの眼力を嘆きたくなった……あの話を聞いたとき、彼の底知れぬポテンシャルがいかされる日が来るとは想像もしていなかったからだ。現在、15試合連続安打を継続中にして、6月の月間MVPに輝いた日本ハム・糸井嘉男のことだ。

投手から転向するしかなかった男が「新庄クラスの逸材」?

 最速152㎞を誇る本格派右腕として日本ハムに2003年に入団した糸井が、度重なる怪我と故障で打者に転向したのは'06年のこと。その当時の日本ハム担当スカウトから「新庄クラスになれる逸材」と聞いた時には大きな疑問を抱いたものだ。――そんな上手くいくはずがあるんか――と。

 それが、である。

 左右に打ち分けるバッティングセンス、守っては、それこそ新庄を彷彿とさせる守備範囲の広さと強肩。打ち損ないのセカンドゴロを内野安打にしてしまう俊足は、イチローがメジャーの舞台で見せているそれに引けをとらない。底知れぬポテンシャルで、規格外のパフォーマンスを見せているのだ。

類まれな俊足、異常な速さのバットスイングを持つ“投手”。

 「送りバントが送りバントじゃなかったね」

 そう話すのは近畿大学時代の恩師で、現在は大学日本代表監督を兼務する榎本保氏である。投手だった当時、糸井に送りバントのサインを出したが、50mを5.6秒で走る糸井の送りバントはセーフティーバントに等しい成功率だったという。また、バットスイングにしても「(当時のチームメイトで現阪神の)林威助のスイングスピードを計ったら168km、これもすごく速いことは速いのですが……当時、糸井にスパイクも履いていない状態でバットを振らせたら160kmもあったんですわ」というのだから、当時から打者の素質もあったということか。

 ただ、それでも糸井の投手起用にこだわったのは本人の希望があったからだし、大学2年時には長らく気にしていた故障が癒えて150kmを投げ込むまでになっていたしで、打者転向の話はほとんど選択肢から消えていったという。大学4年春にはリーグ優勝をかけた立命館大との決戦で2試合連続完投勝利(うち1完封)を収めている。野球選手としての才能が満ちあふれていた糸井は、投手として順調に育っていた。いや、投手以外の能力も含めて、才能があり過ぎだったといった方がいいかもしれない。

 当時の日ハムのスカウトが糸井を指して「新庄クラス」といったのも、そのポテンシャルを知っていたからこそだったのである。

【次ページ】 '06年に打者転向した男が、'08年には豪打を放っていた。

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糸数敬作
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