スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
キルブルーと60年代。
~“早く来すぎた長距離砲”を悼む~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2011/05/23 10:30
MVP1回、本塁打王6回、打点王3回獲得。1984年に殿堂入り。背番号は長嶋と同じ3だった
ツインズのジム・トーミとは、野球史上の相似形だ。
だが、ジム・トーミのような選手を見ると、私は反射的にキルブルーの存在を思い起こしてしまう。
どちらも長距離砲だ。
どちらも守備がうまくない。
どちらも中西部の出身で、人のよさそうなたたずまいを漂わせている。
とくに、2000年代序盤のトーミは本塁打と四球がともに多く、4割を超える出塁率を誇っていた(いまも現役生活は続行中だが、21年間の通算打率は2割7分7厘だ)。右打ちと左打ちのちがいこそあれ、これはやはり野球史上の相似形と呼ぶべきではないか。
ところで、キルブルーにはもうひとつ忘れがたい逸話がある。
1966年の対エンジェルス戦で、彼は敬遠の四球を1試合に3個も頂戴したのだ。投手はジョージ・ブルネット。
後日、ブルネットはこの敬遠四球が適切な処方箋だったことを証明した。この試合の4日後、キルブルーにホームランを喫してしまったからだ。いや、それだけではない。2カ月後、キルブルーはまたもやブルネットから本塁打を放った。さらに4日後、キルブルーは3戦連続の花火を打ち上げ、マウンドに立つブルネットを心底震え上がらせたのだった。