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キルブルーと60年代。
~“早く来すぎた長距離砲”を悼む~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byGetty Images

posted2011/05/23 10:30

キルブルーと60年代。~“早く来すぎた長距離砲”を悼む~<Number Web> photograph by Getty Images

MVP1回、本塁打王6回、打点王3回獲得。1984年に殿堂入り。背番号は長嶋と同じ3だった

 2011年5月17日、ハーモン・キルブルーが亡くなった。

 食道がんだった。1936年6月生まれだから、長嶋茂雄と同い年だ。早いな、と感じる気持は否めない。

 豆タンクのような身体つき(178センチ、96キロというサイズだった)と真ん丸の顔を思い出すと、もっと長生きしても不思議ではなかったような気がしてならない。

 キルブルーは「本塁打のスペシャリスト」だった。放ったホームランの数は、22年間の現役生活で573本。通算打率は2割5分6厘と低かったが、14.2打数に1本の割合という本塁打率はベーブ・ルース(11.8打数に1本)やラルフ・カイナー(14.1打数に1本)にひけをとらない。

 さらに彼は、年間本塁打40本以上のシーズンを8回も体験した。ルースの11シーズンには敵わないが、これは、ハンク・アーロンやバリー・ボンズやアレックス・ロドリゲスと肩を並べる記録だ。

低打率なのに出塁率は極めて高い「早く来すぎた'90年代長距離砲」。

 キルブルーには、ほかにも特徴があった。

 第一に、彼は投高打低の1960年代に活躍した。

 '63年から'68年までの6年間に限定すると('69年からマウンドが削られ、ストライクゾーンも狭くなった。'68年までは、肩の高さでもストライクがコールされていた)、彼の総本塁打数219本は、ウィリー・メイズと並んで大リーグ最多である。しかもこの間、キルブルーは肘や脚の故障で120試合近くを欠場している。'60年から'69年までの10年間を振り返ってみても、その本塁打数393は大リーグ最多(アーロンはこの10年間で375本)だった。

 第二の特徴は四球の多さだ。本塁打王6回、打点王3回以外に、彼はリーグ最多四球も4回記録している。'69年などは、49本塁打、140打点、145四球で、出塁率が4割2分7厘。打率が2割7分6厘にすぎなかったことを思えば、これはほとんど驚異的な数字というべきではないか。

 とまあ、そんなわけで、私はキルブルーに「早く来すぎた'90年代長距離砲」のイメージを抱いていた。もし'60年代にDH制が採用されていたら、彼の現役生活はもっと長くなっていたかもしれない。そしていうまでもなく、彼はステロイドとは無縁だった。

【次ページ】 ツインズのジム・トーミとは、野球史上の相似形だ。

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