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ジーコ 「いまこそ本心を語ろう」
text by
戸塚啓Kei Totsuka
posted2006/09/28 22:31
一方的にやられたのなら、まだ納得できるが……。
──日本国内では、オーストラリアを1-0とリードした後の采配が批判されましたが。
「もし1-0のまま逃げきっていれば、ジーコはすごい、となり、ヒディンクは何だ、となっただろう。同じ選手交代でも、プラスにもマイナスにも作用する可能性がある。それほど間違った采配はしていないと、自分では思っている。あの時間帯はボールポゼッションを上げたかった。少なくともセカンドボールを支配して、中田英、小野、福西、中村でボールが回れば、と。小野が入ったあとも何回もチャンスがあったわけだし。とにかくセカンドボールを支配して、駒野かアレックスを前のスペースへ出て行かせたかった」
──選手自身がもっと考えてプレーすべきだった、と私は思いますが。
「後半だけでも高原、柳沢、駒野、福西とチャンスがあった。どうしてもう1点取れないのか。4回もチャンスを逃したら、絶対に勝てない。イージーなものは全部決めないと。駒野が突破したとき、中田英がフリーだった。何回も練習した形だ!― 中を見てスッと流せばいい。そこでパスミスをしてしまう。一方的にやられたのなら、自分もまだ納得できる。でも、あれだけ攻めておいて、チャンスを作り出しておいて、決められないのでは……」
──クロアチア戦も決定機を逃しました。
「柳沢の場面は、目の前にGKがいたわけではない。ニアサイドから戻る途中で、ゴールは空いていた。押し込めばいいだけだ。彼には10年間言い続けてきた。ああいう場面では、左足のインサイドで確実に蹴れと。あれを外したら!― 高原もシュートをフカした。ワールドカップでは、すべてを最高の形で整えておかなくてはならないんだ」
──しかし日本は、コンディションを崩した選手が少なくなかった。
「高原も、ドイツ戦で2点入れたが、マルタ戦でちょっと傷んでしまって、本大会では活躍できなかった。でも、加地は逆だった。根性以上のものを見せて、何とか間に合わせた。最終のメンバーリストを決める前は、何があってもいい。でもリストを決めてからは、一人ひとりの気合いというか根性というか、少しぐらい傷んでもとにかくやる、すべてを費やしていく、という気構えがないと勝ち抜けない。それがワールドカップなんだ」
──それを、選手は分かっていなかった?
「伝達すべきものはすべて伝えたと思っている。選手がどこまでそれを真剣に受け止めてくれたかは分からないが。これは本当に個人の問題になる。バンコクでワールドカップ出場を決めたときに、全員を集めてこう話した。『ワールドカップはこんなもんじゃない。最終予選の倍ぐらいの難関が待ち受けている。キミたちが本当にやる気があるなら、クラブでそれぞれを高めていってほしい』と」
──そこに誤算があった?
「久保は最終的に連れて行かなかったが、9カ月近くもまともにプレーできないほど腰を痛めていた。どれだけ才能があっても、メンバーには入れられなかったよ。彼だけじゃない。4年間のなかで、7人もの選手が長期の離脱を強いられた。高原のエコノミークラス症候群は特別としても、中田英、稲本、小野、久保、坪井、柳沢……中心になる選手のうち7人もだ。イタリアはなぜ優勝したか。ほとんどのメンバーは、100%とは言えないまでも、それに近い状態だった」
──フィジカルが問題だった、と。
「フィジカル的な準備という意味だけでなく、一人ひとりが持ち合わせる体質というか──資質の問題だ。ベースとなるフィジカルを、小さい頃から強くしていかないといけない」
海外組が多かったことについては?
「海外でプレーするのはいい。ただ、ほとんどが試合に出ていなかった。コンスタントに出ていたのは、中村とフェイエノールトに所属していた当時の小野ぐらいだろう。松井も出ていたけど最初は2部で、稲本も常時出場したのは2部へレンタルされているときだった。柳沢はほとんど出ていない。高原も大久保も。彼らはみな優れた選手だが、代表に呼ぶときには試合勘の問題があった」
──もっとも計算外だったのは、誰ですか?もっとできるはずなのに、と思ったのは。
「名前を出したくない」
──中村俊輔は体調を崩していた。なぜ最後まで使い続けたのですか?
「信頼は積み重ねによって生まれる。彼はヨーロッパでの経験があるし、1本のスルーパス、あるいはFKで日本を救ってきた。だから、最後の最後まである程度期待してきた。足を引きずりながらでも、微熱があって調子が悪くても、オーストラリア戦で1点目を生んだのは中村だった。そういう可能性を秘めている。名前だけで信頼していたわけじゃない。彼は実績を残してきたから」
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