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安藤勝己「ガッツポーズは慣れないねぇ」
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
posted2004/06/17 00:00
アンカツ、ダービーを制す。去年の2月までは、公営笠松を本拠にしていた男である。その男が、ダービー出場3回目で決めた。騎乗したキングカメハメハは皐月賞を使わず、1600mのNHKマイルカップを使ってから2400mのダービーに出走するという特異なステップを踏んできた。この2つのG1を連続して制覇したのは史上初のことである。
人も馬も、大げさにいえば、歴史的快挙を成し遂げたのだ。ところが、そんな物々しい賛辞も、いつもどおりの笑顔で、軽く受け流してしまう。ダービージョッキーになっても、安藤勝己はいつものアンカツだった。
「ゴールを過ぎて、ウイニングランで戻ってくるとき、すごい歓声だった。それを聞いて、何かやんなきゃまずいかなと思ってね。やり慣れないガッツポーズなんかしちゃった。オレらの年代は、若い人たちと違って、ああいうのを素直にやれないんだよね。だから、ダービーの日のガッツポーズもぎこちなかったでしょ。でも、スタンドをしらけさせてもまずいしと思ってやってみたんだ」
勝利のあとの歓喜のガッツポーズも、自然に出たものではなく、ファンへの義務感から出たものだというわけだ。観衆の前で、派手なガッツポーズが素直にできないというのは、安藤がかつての柴田政人や河内洋のような旧世代に属している証拠だろう。だが、中央で、長くダービーを渇望しつづけた二人に比べると、安藤にはダービーに特別な感情はないようだ。
「みんなから、ダービーだけは違う、絶対に負けられないっていう重圧がすごいと聞かされていた。だから、自分も直前になったらそう感じるかなと思っていたんだけど、特にそんなこともなかったねえ。絶対に負けられないというより、馬の力を出せさえすれば勝てる、負けたときはしょうがないって思っていた。まあ、ダービーに限らず、ほかのレースでも、基本的にはそういう考えで乗ってるんだけど」
あるベテラン調教師から、優れた騎手とは、「勝った時は自分のせい、負けた時は馬のせい」と考えられるやつだといわれたことがある。負けた時に「自分が悪い」と考え込むような騎手は、なかなか大成しないというのだ。安藤が負けた時は「馬の力が足りなかったんだ」とあっさりあきらめられる、あるいはそう考えるように努めていることは、それだけで優れた騎手の証だろう。
もっとも、今回のダービーの場合は、負けたらしょうがないと思わせるほど、馬の力が傑出していたともいえる。
「2月のすみれステークスで乗ったときから、この馬は1600mよりも2000m以上の距離が向いていると思っていた。だから1600mのNHKマイルカップは勝てるかどうか不安もあった。その一方で、NHKマイルカップでそれなりの競馬ができれば、もちろん勝つことが最高だけど、勝てないまでも内容のある競馬ができれば、ダービーには自信を持って出られると思っていた」
不安がないでもなかったNHKマイルカップは、2着に5馬身差をつけ、レコードタイムをたたき出す圧勝だった。しかしこの圧勝がかえって不安の種になったという。
「1600mであれだけ離して勝ってしまうと、今度はダービーの2400mには向いていないのかな、なんて考えもしたね。でも、こっちの指示に素直に応じてくれる頭のいい馬だし、前に、前にと行きたがるのではなく、どんな流れになっても直線できっちり伸びてくる馬だから、まあ、ダービーでも心配は要らないだろうって」
ダービーの日は、本番前のレースは予行演習の意味合いを持つ。安藤もレースに出て、芝コースの状態を確認した。
「NHKマイルカップや前の週のオークスよりも、馬場がだいぶ固くなっている感じがした。天気もよかったしね。ダービーの出走馬には先行したい馬もいるので、ペースは落ちない。レースの決着は間違いなくレコードタイムになると思った」
速いタイムの出る厳しい流れ。そのレースを、どのコースを通って乗り切るのか。それが考えどころである。
「コースの内めはかなり荒れていた。ずっとそこを走れば最後は伸びを欠くだろう。それなら、多少距離のロスがあっても、馬場の外めを回るほうが馬の負担も軽くなるし、最後も伸びてくれるだろうと思った」
キングカメハメハの枠順は12番。真中よりやや外めである。最短距離を狙って馬を内にもぐりこませるような冒険よりも、枠順のとおりまっすぐ進ませる。策は決まった。
意外に速いレース展開。だが、譲る気はなかった。
レースは、ほぼ、安藤が考えたとおりに進行した。皐月賞では出遅れたマイネルマクロスが、その借りを返すといわんばかりに強引に逃げ、それを2、3頭が速いペースで追走する。中にはやや折り合いを欠いたように前に行きたがる皐月賞の2着馬、コスモバルクの姿もあった。それを見ながら、キングカメハメハは外めの6、7番手を進む。
「極端に流れが遅くなったら、自分で逃げてもいいくらいに思っていた。折り合いには全然問題のない馬だからね。でも、予想通り速い流れになった。手ごたえはよかったから、どこからでもスパートできる感じだったね」
3コーナーを過ぎてペースが一段と上がる。コスモバルクが外に膨れ気味に先頭に並びかけ、キングカメハメハをマークしていたハイアーゲームも一気に仕掛ける。ここが勝負どころだった。
「ハイアーゲームが並びかけてきたときは、ちょっと早いなと思った。でも、ここで抜かせては抜き返すのはむずかしいと思ったから、いっしょに動いた。譲る気はなかったね」
直線を向き、坂の下では先行勢は圏外に去って、キングカメハメハとハイアーゲームの一騎打ちに。
「早めに動いたんで、ゴールまでが遠かった。でも、NHKマイルカップのときの伸びから考えても、最後まで絶対に辛抱してくれると思ったよ」
長い叩き合いも、坂をあがったところでハイアーゲームが力尽き、キングカメハメハが1頭、ゴールをめざす。大外からハーツクライが猛然と追い込んできたが、安藤の視界にハーツクライが捕らえられたのは、ちょうどゴールしたときだった。
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