Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
ACミラン 脱カテナチオ、至福の90分。
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
posted2007/12/28 00:24
タイムアップまで30分近く残っているというのに、カカの3点目が決まると、イタリア人の記者たちはすっかり緊張感を失ってしまった。ファンのように狂喜すると、やがて締まりのないお喋りが始まった。無理もない。このカカの一撃によって、勝敗の行方はだれの目にも明らかになったからだ。
60分過ぎ、中盤でボールを受けたカカが軽やかなステップを踏みながらドリブルを始めた。ディフェンダーが必死に食らいつこうとするが、ほとんど苦にする様子はない。身体を小刻みに揺さぶってわずかに抜け出すと、角度のないところから呆気なくゴールを打ち抜いてしまった。
その後の30分は、ほとんどミランの独壇場となった。パスが面白いようにつながり、十分な点差がついているというのにサイドバックが次々とスペースをついて駆け上がる。止まることを知らないカカのドリブル、信じられないようなトラップに異様なまでの運動量を披露したセードルフ、さらにはピルロの寸分の狂いもない浮き球パス……。スーパースターの競演に触発されたのか、いつもは壊し屋に徹しているブロッキまでもがドリブルで密集に突っかけていく。これにはイタリア人記者の間からも、ちょっとした驚きの声が上がっていた。
楽しいミラン、愉快なミラン。ユニフォームが白だったこともあって、この日の彼らは銀河系時代のレアル・マドリーと重なって見えた。だが本来、ヨーロッパで戦っている彼らにはありえないことだ。チャンピオンズリーグはもちろん、セリエAでも、彼らは楽しさとは縁のない試合を繰り広げている。
ミランが日本で変身したのは、ひと言でいえば対戦相手が弱すぎたからだ。この日、横浜で世界一の座を争ったボカには、かつてのリケルメやテベス、若き日のパレルモのような一発で流れを変える選手がいなかった。すべてのポジションで、ミランの選手がひと回りもふた回りも大きかった。ミランにとっては、日ごろチャンピオンズリーグで日常的に戦っているチームより、御しやすい敵に見えたのだろう。そうでなければ、あれほどショートパスをつなぎ、貪欲に追加点を狙いにいくこともなかっただろう。
燦然と輝いたミランとは対照的に、南米王者のプライドは粉々に打ち砕かれた。屈辱的な敗北を喫したボカ。FWのパレルモは試合終了後、人目を憚ることなく泣き崩れた。
立ち上がりこそ果敢にゴールに迫ったボカだったが、彼我の差を痛感したのだろう。やがて慎重に自陣を固めたことで、攻撃の選択肢は限られていった。パレルモやパラシオは、ただでさえ格の違う敵に勝算の低い戦いを挑む羽目となってしまう。そのうち、人数が揃っているはずの守備にも、穴が空くようになった。頼みの新鋭バネガは中盤に埋没。ほとんど、いいところがなかった。
だれが見ても明らかな惨敗。だが、ボカの面々はリードを許してから、果敢に反撃に出た。ほとんど中盤さえ突破できない中でも、ボールを持てば前へ前へとドリブルを仕掛け、その姿勢が2点目につながる。
思えば、ミランが嘘のように美しいサッカーを披露できたのは、最後までボカが戦意を失わなかったからでもあった。3日前、レッズはミランを1失点に抑えたが、その戦い方は守備一辺倒だった。敵のあまりの強さに、後退するしかなかったのかもしれない。だが、挑戦者としての姿勢には物足りなさが残った。レッズのようにボカもひたすらゴール前を固めていたら、いくらミランでも面白いように決定機を重ねることはできなかっただろう。だが、失うもののあるボカは危険を承知で勝負に出た。その意味では立派だった。
仇敵ボカを完膚なきまでに撃破し、ミランは久々に世界王座に返り咲いた。この日、ピッチに立った選手たちは、路地裏の王様だった少年時代の爽快感を味わったに違いない。