カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:バルセロナ「日本人と刺激。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2008/01/08 00:00
今のスペインはまるでバブル期の日本を見るようだ。
物価も相当上がってしまった。しかし多数の日本人がクラシコ観戦に訪れていた。
そのようにして、日本にはない刺激を受けることは大事なことだと思う。
クリスマスイブを2日後に控えたバルセロナは、ニコニコ顔のオンパレードだった。土曜日ということもあって、ショッピング街はどこもかしこも、買い物客でごった返している。歩くことにも苦労するほどなのだ。
世の中バラ色とはこのことである。15年ほど前の日本に、タイムスリップしたような、懐かしい感覚に襲われる。当時の日本は、まさにこんな感じだった。いくら能天気にしていても怖いものなし。背中はバブルという名の妖怪に、知らず知らずのうちに後押しされていた。
大の買い物好きである僕ではあるが、さすがにこの雑踏に身を委ねると、気後れせずにはいられない。バルセロナ人と一緒になって浮かれる気はサラサラ湧いてこない。むしろ、お節介の一つも焼きたくなる。
「この景気は、そう長くは続かないから」。「地価が急落して……」。「不良債権を抱え込んだ銀行が破綻して……」。
そう僕は“バブルへGO! タイムマシンはドラム缶”という映画に出演していた広末涼子嬢に扮した気分なのだ(千葉へ1日旅行。=2月20日掲載参照)。途端に使命感が湧いてきた僕は、日本語が98%完璧なカタラン人に早速、アドバイスした。マンション転がしに成功し、莫大な富を得ている彼に「いまこそが売り時だ」と。しかし彼曰く、スペインでは購入してから3年経たないと、マンションは転売できない決まりがあるのだという。うーーん。他人のことながら、少しばかり心配になる。
スペインは僕の知る限り、ここ数年で最も変わった国だ。街並みはすっかりモダンになり、それにつられるように地価も物価も、急上昇した。日本人にとっては、もはや行きづらい国の一つである。
にもかかわらず、今回の「クラシコ」には、多くの日本人が駆けつけていた。一般のファンのみならず、Jリーグ関係者も多数いた。すでにシーズンオフ入りしている選手、監督もいた。
良いことだと僕は思う。日本人のサッカーマンに最も欠けているものは何かといえばズバリ刺激だ。期待の選手が思いのほか伸びない理由もそこにある。日本は島国だ。外国から刺激を受けることが少ない環境にある。よほどその気にならないと、従来の価値観に変化が起きにくい体質を抱えている。
片や欧州にはいろんな価値観がうごめいている。刺激には事欠かない。だから選手は伸びる。27〜28歳になってもまだ伸びている選手を、僕はこちらで山ほど見てきているが、彼らは知らぬ間に、新たな価値観を取り入れながら、同時に、余分な過去を削ぎ落とすことに成功しているのだ。自分の過去をどれほど捨てられるか。選手が伸びるポイントは、これになる。頑なに守っている選手は伸びにくい。
日本から遥か遠く離れた場所で行われている試合を観戦するということは、そういう意味で大切なのだ。試合のレベルが高ければなお宜しい。触発されること請け合いだ。
監督についても同じことが言える。ピッチの脇からではなく、スタンドからファンと一緒になり、日常とは異なる姿を目の当たりにすれば、少なくともアイディアの絶対量は増す。それを繰り返すことにより、引き出しの中身は、充実した状態になる。空っぽになること、アイディアの在庫が枯渇することはないのだ。実際、日本で行われているサッカーと、こちらとでは、スタイルに大きな差があるわけで……。
例の日本語が98%ペラペラな某クンは、多感な少年時代を10年ほど日本で過ごしている。「クラシコ」終了後、テーブルを囲んだ際に訊ねてみた。「日本人とバルセロナ人との一番の違いは何?」。するとこう答えた。「日本人は何かあっても顔にはけっして出さないけど、こちらではストレートに表現する。喧嘩をするときはちゃんとする。夫婦のような親しい関係であればあるほどなおさら、ね。どっちが良いとか悪いとかは言えないけれど」。
しかし少なくともサッカーにとっては、顔に出さないより、ストレートに表現する方が良いに決まっている。膿をその都度出さないと、病状はどんどん深刻化していく。チームは不健康な状態に陥るのだ。選手の不満はたまるばかりなのに捌け口はない。試合後のミックスゾーンで、その辺りのことに突っ込んでも、選手は絶対に答えない。問題発言はしないわけだ。日本代表などは、最たるものになる。聖人君子的な答えしか返してこない。
僕はたまりかねて「嘘でしょ、それ」とある時、突っ込んだことがある。もちろん、囲み取材が終わり、周囲に人気がなくなった後だが、すると選手は小さな声で「嘘です」と答えたものだ。その選手には悪いんで、記事にはしなかったけれど、こちらではそんなことはあり得ない。ちょっと突っつけば、ロナウジーニョへの文句だって、平気で出てくる。だから世の中は盛り上がる。バルセロナにとっても、長い目で見れば、これはけっしてマイナスなことではない。サッカーは騒動を肥やしに、発展してきた経緯がある。
そのテーブルの席にはJリーガーたちもいたので、僕はけしかけてみた。「言っちゃえば」と。「いやいや怖くてできません」と、彼らは弱気に答えたが、まぁ、そりゃそうだろう。彼らだけを“率直な人”にするのは、気の毒だ。世の中が今のままである限り、単なる変人になってしまう。変人がこの世界で生き抜いていくことは並大抵なことではない。一生、ヒール役を背負う運命になる。
日本人のそうした傾向は、特に最近、酷くなっているようだ。昔の選手、例えば、ドーハの悲劇の頃の選手たちは、ガンガン文句を言い合ったものだ。監督批判も平気で口にした。だからといって、ヒールになることもなかった。世の中もまたそれを普通に受け入れていた。良い時代だったのだ。その時は、すなわちバブルの時代と一致する。浮かれポンチの世の中だからこそ、変な奴もたくさんいたというわけか。だとすれば、バブルよもう一度と叫びたくなる。それこそ15年前にタイムスリップしてみたくなる。これから日本は、いろんな意味でますます悪くなっていきそうだし。困った2007年の年の瀬である。