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バルセロナ 「完全なる敗北」。 

text by

田村修一

田村修一Shuichi Tamura

PROFILE

posted2007/01/11 23:00

 そのときバルセロナのキャプテン、プジョルは、一瞬のうちに置き去りにされた。

 インテルナシオナルのインディオが蹴ったクリアボールは、アドリアーノ、ルイス・アドリアーノが頭でつなぎ、イアルレイの足元に落ちた。プジョルの股間を抜くトラップで方向転換し、ドリブルを仕掛けるイアルレイに、プジョルは間合いを詰められない。

 右からルイス・アドリアーノ、左からはアドリアーノが、パスを受けようと走りこむ。対するバルサディフェンスは、プジョルとベレッチの2人だけ。数的優位の状況で、イアルレイが選んだ選択肢はアドリアーノだった。

 右足アウトサイドでトラップしたアドリアーノは、一歩だけドリブルすると、同じ右足アウトでファーサイドに蹴りこんだ。タイミングを外されたGKビクトル・バルデスが何とか反応したが、ボールは彼の指先を掠めるようにしながらゴールネットに突き刺さった。

 ボールを支配しながら、思うようにチャンスを作れず焦燥感を募らせたバルセロナが、さらに攻めようと守備の意識が薄れた隙を突いてのカウンターアタック。残り時間は10分を切っている。インテルにとっては理想的な先制点であった。

 さらに猛攻を仕掛けるバルセロナ。だがデコのミドルシュートはGKクレメールの好セーブにあい、ロナウジーニョの絶妙なフリーキックはわずかにポスト左に外れた。そしてロナウジーニョのパスに走りこんだイニエスタが、クレメールと激突してシュートを阻まれたとき、約束されていたはずの、バルサの世界制覇の夢は破れた。

 準優勝メダルをかけてもらっても、その重みに耐えかねたように、すぐに首から外してしまう選手たち。呆然と立ち尽くすロナウジーニョの目には、うっすらと涙が光っていた。

 「決勝でバルセロナは苦戦するだろうな」と、4対0で快勝したクラブアメリカとの準決勝を見た後で思った。

 来日当初から選手たちと監督の口から漏れていたのは、コンディションの悪さだった。土曜にリーガを終えて日曜に移動。日本到着は月曜朝で、木曜には試合に臨むハードスケジュール。しかも相手のクラブアメリカには、親善試合とはいえ今年8月に引き分けている。スタートはいつになく慎重であった。

 ところが守りを固めるアメリカに、バルセロナは面白いように得点を重ねた。アメリカは、形のうえではきっちりと守備のブロックを形成していた。だがバルセロナがいったんパスを回し始めると、彼らは特にプレッシャーをかけることもなく、バルサの選手にスペースを与えた。

 むやみにボールサイドに圧力をかけるとやられる。8分にジャンルカ・ザンブロッタのオーバーラップから、ロナウジーニョが決定的なシュートを放ち、その3分後にデコ、ロナウジーニョ、イニエスタのパスワークから、エイドゥル・グジョンセンが先制点をあげてからは、アメリカの選手たちは明らかにバルセロナに過度の恐れを抱いた。

 スペースがあれば、目立つのはバルセロナの良さばかりである。

 「早々にゴールを決められて、その後は落ち着いてプレーができた」とジュリは試合を振り返った。

 「結果的にはイージーゲームだが、流れでそうなっただけだ。状況は簡単ではなかった。ここまでうまくいって、正直ほっとしている。日曜(決勝)もいい試合が出来ると思うよ」

 ジュリをはじめ、選手たちの表情は一様に明るかった。ロナウジーニョもいつになく饒舌だった。

 「疲れはまだ抜けてないけど調子は悪くはない。決勝(かつてのトヨタカップ)は子供の頃から夢見ていた特別な試合。絶対に世界チャンピオンになってバルセロナに帰りたい」

 だがインテルナシオナルは、アメリカのようにバルセロナに敬意を払ってはくれないだろう。彼らは情けも容赦もなく、きついプレッシャーをかけてバルセロナの攻撃を分断にかかる。またそれだけの技術と経験を、彼らは持っている。

 フランク・ライカールト監督も、そこはよく理解していた。だからこそ彼は、試合前日の会見で精神力の重要さを何度も強調した。フィジカルを含めたコンディションはインテルに分がある。ハングリーさも彼らが上。バルセロナが勝つためには、チャンピオンズリーググループリーグ突破を決めたベルダー・ブレーメン戦のような、渾身の戦いをする以外にはないと。

目の前の光景に思い出す、14年前のあの試合。

 ライカールトの会見を聞きながら、私は、14年前にバルセロナがサンパウロFCとあいまみえたトヨタカップを思い出していた。あのときもバルセロナは試合直前に来日し、前日練習で、われわれの度肝を抜いた。

 狭いコートでの4対4のワンタッチ・ミニゲームは、ボールがパチンコ玉のようにビュンビュンと高速で行きかい、まるでサッカーとは別のスポーツ、宇宙人のプレーを見るようだった。そして監督のヨハン・クライフや選手たちは、自信満々に見えた。

 これほど素晴らしいサッカーをするわれわれが、負けるはずがない。われわれは正しい。だから相手に合わせない。相手がわれわれに合わせればいい。ピッチの上でも外でも、彼らは言外にそう語っていた。

 サンパウロはバルセロナに合わせた。知将テレ・サンターナが用意したのは、ブラジルの技術に高度な戦術それも当時最先端を行っていた、ACミランの流れを汲む組織的な戦術を加味した、バランスの取れたモダンフットボールだった。フリスト・ストイチコフのシュートで先制点を許しながらもバルサの様子をじっとうかがい、27分の最初の攻撃で同点に追いつく。そして後半に入ると、時差と移動の影響で運動量が極端に落ちたバルセロナに対し、サンパウロはライーの決勝ゴールで初優勝を決めた。

 クライフの薫陶を受けたライカールトは、こう語っている。

 「(決勝であっても)特定の相手を想定するのではなく、自分たちのプレーをするだけだ」

 14年後、インテルナシオナルもバルセロナに合わせた。だが彼らは、サンパウロとは異なりはじめから激しく積極的だった。コンパクトなディフェンスブロックを作るのはアメリカと同じだが、エリア内の選手には厳しいチェックをかけ、決して自由にさせない。ロナウジーニョにも、セアラーやインディオが執拗にマークをする。

 「バルサの3試合(チェルシー戦、ベルダー・ブレーメン戦、レアル・マドリー戦)を徹底的に分析した」とアベール・ブラガ監督はいう。

 「ボールサイドのフォワードが守備に行き、前線からプレスをかけてボールを奪うことを徹底した。厳しくマークするのはロナウジーニョだけ。それ以外はゾーンだ。バルサはマークが出来ないチームだから、攻撃はショートパスを繋ぐようにした。アメリカとの準決勝を私はスタジアムの上から見ていたが、広い横浜のピッチが国立(のピッチ)よりも狭く感じた。それはアメリカの選手が走っていたからだ。われわれはアメリカよりも、さらに15~20%走らないといけないと思った」

【次ページ】 「美しく勝利する」哲学を打ち砕いた、南米の飢餓感。

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