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『ふたつの東京五輪』 第5回 「選手村で世界と出会う(2)」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byPHOTO KISHIMOTO

posted2009/07/09 11:30

『ふたつの東京五輪』 第5回 「選手村で世界と出会う(2)」<Number Web> photograph by PHOTO KISHIMOTO

金メダルの三宅選手に届いた「ヒロヒト」さんからの祝電。

写真

三宅義信選手と、選手村で精力的に撮影にあたった若き日の岸本健氏

 選手村には日本の選手たちももちろん滞在していました。おおらかな雰囲気だったからこそできた撮影もあります。バレーボール、バスケットボール、体操など、各競技の選手を集めて集合写真を撮ったのです。「いついつに撮りに来るから集まってね」と選手に声をかけておいて、集まったところを撮影しました。今だったら、オリンピックではないようなときでも、所属の競技団体に申請を出し、スケジュールを調整して、と、窓口の人を通じて段階を踏まなければ難しいでしょう。

 誰かから依頼されていたわけではありませんでした。記録として残したい、その一心でした。

 先日、モンテディオ山形を運営する山形県スポーツ振興21世紀協会理事長の海保宣生さんにお目にかかりました。海保さんは東京オリンピックにバスケットボール日本代表として参加されています。当時の写真を持っていったら大変喜んでおられました。写真家冥利に尽きます。

 選手との距離も近いものでしたので、リラックスした姿をいくつもフィルムにおさめました。

 こんな笑い話もあります。ウェイトリフティングの三宅義信選手が金メダルを獲ったあとのことです。選手村に届いた祝電の差出人に、「ヒロヒト」とあったのです。三宅選手は「さすがに金メダルを獲ると違う」と感動していましたが、実は別のヒロヒトさんでした。その電報を読んでいる場面も、撮影することができました。

選手村にいると知らなかった世界事情が垣間見えた。

 こうして、選手村での選手たちの姿をたくさん撮影したわけですが、私自身、こんなにも多くの国の人々と接するのは初めてのことでした。彼らと接する中で感じたこともあります。例えばお国柄です。現在のロシア、当時はソ連でしたが、共産圏の国々の選手からは、ちょっとかわっているな、見るからに自由がなさそうだという空気を感じ取りました。

 裕福でない国から来る選手もいます。彼らは手持ちのお金も限られているわけです。それでもおみやげをなんとかして持ち帰りたい。100円、200円単位で、おみやげを見繕おうという姿がありました。

 選手村は、世界中の選手たちが短期間であるにせよ、一緒に暮らす特別な空間です。取材する側にとってもそうですが、選手たちにとっても、初めて接する国の人々がいる。同じ空間にいる中で、ときにコミュニケーションが生まれ、互いの事情を知る。「世界にはこんな国が、事情があるんだ」と気づくこともある。

 世界中が一堂に会するオリンピックの、さらに濃縮された空間が、選手村であったような気がします。東京オリンピックの選手村の開放感が、それを強く実感させたのです。

岸本健

岸本 健きしもと けん

1938年北海道生まれ。'57年からカメラマンとしての活動を始める。'65年株式会社フォート・キシモト設立。東京五輪から北京五輪まで全23大会を取材し、世界最大の五輪写真ライブラリを蔵する。サッカーW杯でも'70年メキシコ大会から'06年ドイツ大会まで10大会連続取材。国際オリンピック委員会、日本オリンピック委員会、日本陸上競技連盟、日本水泳連盟などの公式記録写真も担当。
【フォート・キシモト公式サイト】 http://www.kishimoto.com/

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