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見事に節度が守られたセンバツ。
東北に勇気をもらった決勝戦。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byKYODO

posted2011/04/04 12:30

見事に節度が守られたセンバツ。東北に勇気をもらった決勝戦。<Number Web> photograph by KYODO

優勝した東海大相模と準優勝校の九州国際大付、両校ナインの雄姿と、震災へのメッセージ「がんばろう! 日本」。センバツ開催が決まった日の夜。東海大相模の門馬敬治監督は「関東大震災の翌年に、復興の目的でセンバツは開催された」と選手たちに語ったという。選手たちはミーティングで震災の事を何度も話し合い、各自で1000円ずつの義援金を出した

「荒浜が津波で流されているのをTVでみたら涙が出た」

 震災センバツとなった今大会、出場した球児のすべてのプレーに震災への配慮が見られたが、その中で、もっとも模範となったのは九州国際大付の選手たちだろう。

 そこには、監督を務める若生正広の出身地が被災地・仙台だったことも関係している。

 恩師の抱える辛さを選手各自が自然に感じとり、プレーに節度を示すようになっていたのだ。

 若生監督は被災地について、こう話している。

「いつもは見慣れた仙台・荒浜が津波で流されているのをTVでみたら涙が出た。陸前高田には教え子が5人いて、彼らの住んでいるところがテレビで映って、一瞬で流されて……信じられなかった。かつての教え子が秋田で火葬されたっていう知らせもあって、『土葬じゃなくて、無事に火葬されて良かったね』って……辛いことがありました」 

「今、野球をやっていていいのだろうか」という東北の苦悩。

 何かの運命の巡り合わせだったのだろうか。被災地・宮城の東北と九州国際大付が甲子園で交錯するタイミングがあった。

 第6日目・第1試合を戦う東北は三塁側で、第2試合を戦う九州国際大付も三塁側だったのだ。室内練習場の入れ替わり、試合への入れ替わりが同じだったのである。九州国際大付の高城が、その時を振り返ってこう語っている。

「練習場で見た時に、東北ナインからは『今、野球をやっていていいのだろうか』と戸惑いながらプレーしているのが伝わってきました。自分たちは不自由なく野球をやらせてもらっているのに、東北ナインのことを思うと……辛かったです。そのあとスタンドを見ると、たくさんの人が東北を応援していた。敵とか味方とか関係ないんだなって光景に感動しました。だから、東北が負けた時は僕もチームのみんなも落ち込んだんですけど、彼らのためにも一生懸命やろうと……」

 その後に行われた日本文理との試合で、九州国際大付は必死に戦った。

 1回裏に先制、4回表に追いつかれるも、その裏には3連打で3点を奪って勝ち越し。守っても、エース・三好匠が3者連続を含む12奪三振で、一昨年夏の準優勝校に完勝したのである。

【次ページ】 東北ナインを見て「今までにない九国の戦い方」に変化。

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