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プロレス写真記者の眼
「流血したジャンボ鶴田はカメラマンを両手で…」突然の訃報から22年、“疲れを知らないプロレスラー”が成し遂げた日本人初の偉業とは
2000年5月13日、鶴田はフィリピンでの肝臓移植手術中に亡くなった。49歳だった。「鶴田が死んだ」と聞いたときは信じられなかっ… 続きを読む
原悦生Essei Hara
プロレス
2022/05/30

プロレス写真記者の眼
「小鹿、早く帰ってこい。会社を改革しよう」“プロレス界の生き字引”グレート小鹿がアントニオ猪木と飲み明かしたLAの夜
1967年、グレート小鹿は大熊元司と共にアメリカに行くことになった。2人は後に「極道コンビ」と呼ばれるタッグチームを結成する… 続きを読む
原悦生Essei Hara
プロレス
2022/02/13

プロレス写真記者の眼
【没後23年】ジャイアント馬場「私、プロレスを独占させてもらいます。」ポスター撮影のカメラマンが語る“イタズラ好きの馬場さん”
1月31日はジャイアント馬場の命日だ。早いもので、1999年に亡くなって丸23年が経った。馬場の全盛期は、1955年生まれの筆者が10… 続きを読む
原悦生Essei Hara
プロレス
2022/01/31

プロレス写真記者の眼
巨大な米組織を超え世界一を目指した。
アントニオ猪木の夢、IWGPの原点。
「チャンスが与えられないなら、作ればいい」それがIWGP構想のスタートだった。モハメド・アリ戦で生じた18億円ともいわれた巨額… 続きを読む
原悦生Essei Hara
プロレス
2020/06/27