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アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/05/26 11:03
5月22日、青森県十和田市の蔦温泉を訪れたアントニオ猪木。2019年に亡くなった妻・田鶴子さんの納骨式と、「アントニオ猪木家の墓」の建立式を行った
「もう少し元気になった姿を」と猪木は言った
ズッコさんが亡くなったのは2019年8月だったから、もう3年近く前になる。2人はこの温泉が気に入って、都会の喧騒から遠ざかるように、何度も静かな時をここで過ごしていたという。
今の猪木は多臓器不全を引き起こすアミロイドーシスという深刻な病を抱えている。「まだ、お迎えが来てくれないよ」とか「もういいじゃないか、猪木」という古舘伊知郎さん的な言葉を自分に投げかけてもいる。でも、それは額面通りの言葉ではなくて、逆に「もう少し、生きてやるよ」という意思表示のように筆者には聞こえる。猪木は寡黙に戦っている。
目の前には、瞳を閉じて悲壮感すら漂わせてリハビリを続ける猪木がいる。体調を示すさまざまな数字とも戦いながら、積極的にうまいものを食べようとする猪木がいる。
車イスに乗った猪木に「元気ですか」という言葉はもう似合わないのかもしれない。「どうせ、よくはならないから」と猪木は自虐的な言葉まで発して、ちょっと笑ってみたりもする。それでいて「もう少し元気になった姿を皆さんに見せないとね」と相変わらずのサービス精神も忘れていない。
あれだけの強靭さを誇った猪木の肉体が老人のものになったことは否定できない。人は誰でも歳を重ねる。なにせ79歳だ。でも、「闘魂」が猪木から消えうせることはない。それを「静かな闘魂」と筆者は呼ぶ。もし、不老不死の妙薬があるというなら、人体実験でもいいから真っ先に猪木に飲んでもらいたいと思う。「飲みますか」と聞いたら、「ああ、いいですよ」と猪木は言うだろう。生きたいからだ。
今の猪木にとって東京から青森まで移動するということはある意味大きな戦いであり、挑戦だ。仙台でブレイクを挟んだとはいえ、長距離の移動はかなりの疲労とリスクを伴う。自宅やお気に入りの都内のホテルで過ごす日々とは違う。