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“聖域”へと果敢に挑んだ
『あしたのジョー』実写化。
~ついに破られたタブー~
text by
木村光一Koichi Kimura
photograph by(C)2011高森朝雄・ちばてつや/「あしたのジョー」製作委員会
posted2011/02/11 08:00
『あしたのジョー』 2月11日より全国東宝系にて公開
“ジョー、おまえは、明日に向かって死物狂いで闘って、泪橋を逆に渡れ!”
あまりにも有名な丹下段平の台詞だ。
『あしたのジョー』の連載が少年マガジンで始まったのが1967年12月――いや、ここでは“昭和42年”と記すことにする。すっかり耳慣れた“昭和ブーム”とやらに便乗するつもりはないが、やはり、日本のある時代を語ろうとするとき、区切りのない西暦はつるつると引っかかりがなくて馴染まない。そう、『あしたのジョー』は紛れもない昭和の金字塔であり、あのごつごつして埃っぽかった時代に明日を夢見て生きた日本人の自画像そのもの――だから、これまで『あしたのジョー』は昭和を体感した者たちの“聖域”として守られてきたのだ。
“聖域”には神聖な地域や場所などの意味の他、それに触れてはならない問題や領域という意味がある。『あしたのジョー』はまさにそれにあたる。時間の積み重ねや今も数を増やし続ける原作漫画やアニメのファンたちの思いが、ますます作品を神格化している。ある者にとって原作本は“聖書”であり、矢吹丈や力石徹は“神話世界の神々”に等しい。その神格化の流れだけは誰にも止められない。だから、『あしたのジョー』の実写映画化は、これまで出版界や映画界でタブーとされてきた。ところが、ついに、タブーは破られた。『あしたのジョー』完全実写映画化。事件が起きたのである。
10年前、ナンバーで連載された小説『ふたりのジョー』。
と、その前に――。
実は10年前、私はこのナンバーの誌上において『ふたりのジョー』というボクシング小説の執筆を1年間に亘って担当したことがあった。原案は梶原一騎&真樹日佐夫。言わずと知れた“ジョーの生みの親”である梶原先生と実弟の真樹先生が、“いつか、また”と長年温めていた“もう一つのジョーの物語”だった。『タイガーマスク』や『巨人の星』や『愛と誠』にリアルタイムで胸を熱くした世代の私にとって、それは夢のような仕事だった(因みに『あしたのジョー』に至っては、40年前に石橋正次が主演した幻の実写映画まで観ていた!)。ただ、夢心地でいられたのはほんの一瞬。準備期間を含めれば約2年という時間、私は想像を絶するプレッシャーに苛まれ続けた。