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「申し訳ない」大谷翔平ドラ1指名後、栗山監督が報道陣を通して真っ先に謝罪…逆風の日本ハムが「メジャー志望」大谷18歳の心をつかんだ理由 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2025/04/27 17:03

「申し訳ない」大谷翔平ドラ1指名後、栗山監督が報道陣を通して真っ先に謝罪…逆風の日本ハムが「メジャー志望」大谷18歳の心をつかんだ理由<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

日本ハムからドラフト指名を受けた後日、交渉の場に向かう大谷翔平

 12月3日の面談では、大谷は二刀流の可能性について「打者として結果を出したら、投手として使われないのではないか?」と尋ねた。日本ハム側は「そんなことはない。大谷君には、ダルビッシュ有がつけていた背番号『11』を用意している」と語った。

 この時期、花巻東高には「大リーグに行くと言っている大谷が、なぜ日本ハムと交渉しているのだ」「野球部は大谷に二股をかけさせているのか」という類のクレームのメールや電話が入るようになった。

交渉で提示された“二刀流プラン”が大きかった

 12月9日、大谷は岩手県奥州市で栗山監督とともに記者会見に臨み、「いろいろな方に迷惑をかけたが、日本ハムで大きく成長して大リーグに見合う選手になりたい」と入団の意思を表明した。入団の決め手として「早くアメリカに行った方が、活躍できると思ったが、交渉で提示された資料を見て気持ちが変わった。投手と野手の両方をやる選択肢を認めてくれたことも大きかった」と語っている。

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 4日後の12月13日、日本ハム球団は、大谷に提示した資料『大谷翔平君 夢への道しるべ』を公式サイト上に公開した。報道陣、ファンから内容を知りたい、という声が殺到していたからだ。

 この資料は企業のプレゼンテーション資料のように、順を追って「大谷の現在の立場」「何をすべきか」「どんな選択肢があるか」「球団の育成方針」が丁寧に説明されていた。入団交渉に同席した関係者によると、大谷は資料に目を通したが、一言も言葉を発しなかった。しかし、その眼は「わかりました」と言っていたように見えたという。

大谷も松坂も1つでもステップを間違えていたら

 12月25日、大谷は札幌市内で入団契約を済ませ、背番号「11」のユニフォームに袖を通した。栗山監督は「これ以上ないクリスマスプレゼント」と目を細めた。

 今、日本のみならず世界をまたにかけるスーパースターになった大谷翔平の「最初の一歩」は、誠に薄氷を踏むような状況で成り立ったものだった。

 入団に至る交渉が、ただの一つでもステップを踏み誤っていたら――今の大谷、そして第1回から取り上げた松坂大輔の雄姿はなかったかもしれない。

 運命の不思議さを感じる次第だ。第1回からつづく〉

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