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「プロでお金を稼ぎたい」松坂大輔18歳…なぜ西武ドラ1→即入団とならなかったか「相思相愛はベイスターズ」「五輪でキューバと戦っても」
posted2025/04/27 17:01

プロ志望届を出した横浜高校・松坂大輔。この時点での意中の球団はベイスターズだった
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広尾晃Kou Hiroo
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JIJI PRESS
春の野球界は「新人」が躍動するシーズンでもある。今季も楽天の宗山塁や、ロッテの西川史礁とルーキーが開幕スタメンを獲得した。
ここでは、球史に残るスーパースター2人がプロ入りからデビューするまでを振り返っていきたい。まずは、2021年限りで引退した松坂大輔。日米通算170勝、「松坂世代」のフラッグシップとして一世を風靡した投手が、プロ野球選手になるまで――。
大学進学の選択肢はなく「プロでお金を稼ぎたい」
1998年8月22日、横浜高の松坂大輔は夏の甲子園の決勝で、京都成章高を史上2度目のノーヒットノーランで下し、春夏連覇を果たした。
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松坂は前年夏の甲子園で、平安高の川口知哉が「完全試合を狙う」と言ったことに強く心を惹かれ、それから「春夏連覇、全試合完全試合」という目標を胸に秘めるようになった。極めて高い目標を設定したことで、夏の決勝でのノーヒットノーランという大記録を演じても動じることはなかった。
松坂家は大輔が中学3年の時に、父が勤務する会社が倒産し、自動車を売り払って私学である横浜高校の学費を工面。母もパートに出て家計を助けた。2歳下の弟・恭平も有望選手だったが、私学に進まず都立高に進んだ。担任には「兄でお金がかかったから」と話したという。こうした背景を持つ松坂大輔に大学進学という選択肢はなく、優勝直後から「プロに行ってお金を稼ぎたい」と口にしていた。父親は「プロに入ったら中古でいいから車を買ってくれ」と言った。
意中の球団でなかったら「社会人に行きます」
11月5日、松坂は神奈川県高野連に退部届を出した。翌日からプロ球団との交渉が解禁になった。在京の横浜、ヤクルト、西武、日本ハムが松坂にアプローチをしたが、松坂大輔の意中の球団は、横浜ベイスターズだった。退部届を出した記者会見で「意中の球団に行けない場合には?」と聞かれた松坂は、きっぱり答えた。
「社会人野球に行きます」
この年、横浜ベイスターズは新任の権藤博監督のもと「マシンガン打線」が猛威を振るって38年ぶりのリーグ優勝。圧倒的不利と言われた西武ライオンズとの日本シリーズも制して日本一になった。エースは松坂と同じ「ダイスケ」である三浦大輔だった。横浜高校と地元を同じくするベイスターズは、松坂大輔にはひときわ輝いて見えていたのだ。