酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
じつはドラフト前“ドジャースと面談”大谷翔平、松坂大輔は「礼儀なので話はしますが」“乗り気でない”2人が日本ハム・西武入団を決めるまで
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama/Shigeki Yamamoto
posted2025/04/27 17:02

松坂大輔と大谷翔平。2人はすんなりとドラフト指名からプロ入りしたわけではない
松坂は西武について「自分のやりやすいところだと思った。伊東(勤)さんといういい捕手がいるので、そんな人を相手に投げてみたい」、東尾監督は、自身の200勝のウイニングボールを松坂に渡し、「丈夫で長持ちしてほしい。彼が200勝してボールを返してくれればいい」とそれぞれ語った。
難航が予想された松坂大輔の入団交渉だったが、3週間足らずで決着を見た。
清原入団時を超えた「松坂フィーバー」
12月28日の入団発表で、松坂は背番号「18」のユニフォームに袖を通した。
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「(目指す投手は)巨人の桑田真澄投手。今は直球だけで押すタイプなので、コントロールを身につけたい。イチロー選手には打たれるのはわかっていても直球で勝負したい」
こう語った松坂に対して――西武の本拠地である埼玉県所沢市では早くも「松坂フィーバー」が起こり、市内には「松坂君、ようこそ所沢へ!」という横断幕が掲げられた。「清原和博選手が入団した時も、こんなことはなかった」と語る市民も現れたほどだった。西武ドームに近い中華料理店は「松坂」牛と「勝つ」をかけて、ラーメンに牛カツを載せた「松坂ラーメン」を売り出した。
翌1999年1月12日、松坂大輔は西武第二球場でトレーニングを開始。当時プリンスホテルの星野智樹を相手にキャッチボールをしたが、力を入れていないのに伸びのあるボールを投げて周囲を驚かせた。
2月1日にはキャンプイン。JR高知駅はタクシーがフル回転していた。西武ライオンズの春季キャンプ地、高知県春野市の高知県立春野総合運動公園野球場と、この年から監督に就任した野村克也監督率いる阪神のキャンプ地、安芸市営球場へと向かう車が行きかっていたのだ。
「朝は7時10分に起きました。地獄のキャンプが始まるという感じですね」
このように松坂は語ったが、50台ものカメラの砲列が松坂を追いかけた。ファンも松坂の動きにつれて大移動する。あまりの過熱ぶりに球団は、背格好が似た投手の谷中真二に背番号「18」のユニフォームを着せて「影武者」に仕立てる騒ぎだった。
紆余曲折を経て西武ライオンズの一員となった松坂大輔は、開幕4戦目の4月7日、東京ドームの日本ハム戦にプロ初先発。最速155km/hの速球で5回まで無安打。8回に小笠原道大に2ランを打たれたが、見事初勝利を挙げた。
ここから彼の日米に渡る「長い物語」が始まったのだった。
大谷は高3時点でドジャースなどと面談していた
大きな注目を集めながら、ドラフト指名からすんなりと入団決定とならなかった――という点では大谷翔平も同様だった。