酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
じつはドラフト前“ドジャースと面談”大谷翔平、松坂大輔は「礼儀なので話はしますが」“乗り気でない”2人が日本ハム・西武入団を決めるまで
text by

広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama/Shigeki Yamamoto
posted2025/04/27 17:02

松坂大輔と大谷翔平。2人はすんなりとドラフト指名からプロ入りしたわけではない
今や野球界、スポーツ界のみならず「世界で最も影響力がある日本人」と言っても良い大谷だが、13年前の秋にはプロ野球入団を巡って、大きな岐路に立たされていた。
2012年夏、花巻東高の大谷は、岩手大会決勝で盛岡大附属高戦に先発するも打ち込まれ3−5と敗退。2012年春に続く甲子園出場はならなかった。しかし夏の岩手大会で高校最速の160km/hを記録するなど、投手としての実力は圧倒的だった。
9月18日には「プロ志望届」を提出したが、この時には報道陣に「プロ野球に行くか、メジャーに行くかは五分五分」と話していた。
ADVERTISEMENT
じつはこの直後に、ドジャースのホワイトGM補佐らが大谷のもとを訪れて面談をしている。
大谷18歳の心は即MLB挑戦に傾いていた
この年、日本ハムは就任1年目の栗山英樹監督のもと、パ・リーグのペナントレースを制した。前年オフに絶対的なエースだったダルビッシュ有がポスティングシステムでMLBに移籍。新任の栗山監督以下、チームは大きな危機感を抱いてペナントレースに臨んだ中で中田翔、吉川光夫と、投打に覚醒する選手が出て西武を突き放したのだ。
優勝が決まったのは10月2日、翌日の朝刊には日本ハム優勝の記事と共に、小さく「レンジャーズ、大谷投手訪問」という記事が載った。前年、ダルビッシュ有を獲得したレンジャーズは、ボイドスカウト部長、コルボーン環太平洋シニアアドバイザーを花巻東高に派遣。両親、佐々木洋監督に挨拶をした。面談には2010年12月にレンジャーズとマイナー契約をして1Aでプレーをしていた尾中博俊も同席した。ボイド部長は「我々の強みは日本人を理解しているところだ」と話した。会談は3時間半にも及んだ。新聞は「日米間には、双方のドラフト対象選手は指名しないという紳士協定があるが、明文化されたルールはない」と報じた。
プロ志望届を出して以降、大谷と直接会した球団はMLBがドジャース、レンジャーズ、レッドソックスの3球団。NPBは全12球団が面談した。
ドラフトを前に大谷はMLB側の説明を受けて「通訳のことや食事面など、不安が解消された部分はある」と話した。またマイナーでの育成方針にも理解を示した。気持ちは完全にMLBに傾いていたようで、10月11日には「日本の球団の方にも迷惑をかけるので、できるだけ早く決めたい」と話していた。
前年、日本ハムは菅野智之の“入団拒否”にあっていた
一方、この年の北海道日本ハムファイターズは、相当な危機感をもってドラフトに臨んでいた。それは前年のドラフト1位で菅野智之の交渉権を獲得しながら、入団拒否にあったからである。〈つづく〉

