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「しんどかったです…まだSNSがなくて良かった」大学中退→社会人野球で覚醒 野間口貴彦を襲ったプロ球団の“自由獲得枠”争奪戦「今なら悩みすぎで…」
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/28 11:03

大学中退後は、社会人野球のシダックスで野村克也監督の薫陶を受ける。頭角を現した一方で、当時の自由獲得枠制度には翻弄されることに
大学を辞めて一度はプロを諦めた人間が、何とか這い上がって評価され、最高峰の選手だけが手にできる特権を得られるようになっても、すぐに結論を出せるわけがない。
と言うより、いざその立場に立ってもどうすればいいのか分からなかった。そのうえ思うように投げられず「野球が楽しくなかった」あの頃は、野間口にとっては苦悩の日々でもあった。
シダックスで出会った「2人の恩人」
それでもシダックスで過ごした2年間は濃密な時間だったと振り返る。特にシダックスで出会った2人の“恩人”が、その後の野間口の野球人生を変えたと言っても過言ではない。
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まず、1人目は球界のレジェンドでもある野村克也監督だ。
「野村さんと一緒に野球ができたことは大きな財産だったと思います。直接ああだこうだと言われたことはなかったですが、“そんなところまで見てるんや”とはよく思いました。話はよくしましたけれど、言われた言葉で一番印象に残っているのが“打たれたって負けたって、命を取られるわけじゃない”。思い切って投げたらええやんという意味だと思うんです。
もちろん、その日に投げてみないと分からないこともありますけれど、自分が一番信用できるボールを堂々と投げたら、それで打たれようが負けようが別に死ぬわけじゃないんだから。それは今、自分がピッチャーによく言う言葉です」
実際に現役時代、野間口もその言葉で悶々とした日々に割り切れた経験があった。もちろんそれで全て解決したという訳ではないが、あの言葉は今でもお守りのような言葉として胸に留めている。
「それで思い切り投げて打たれても選手の責任じゃないですからね。ただ、フォアボールを出すのは逃げてしまっているから、思い切って勝負した方がいいとは今でも選手には言っています。あとは当時チームにいた先輩が、大学を中退してきた19歳とか20歳の一番扱いづらい若造だった自分をうまくコントロールしてくれました。それは本当に感謝しています」