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「もう野球はできなくなるのかな…」“プロ注の甲子園ベスト4投手”が数カ月で大学中退のナゼ…野間口貴彦が振り返る「プロ入りまでの波乱万丈」
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沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/28 11:02

関西創価高では春のセンバツでベスト4まで進出した野間口貴彦。進学した創価大をわずか数カ月で中退し、その後の未来が大きく変わることになる
関西創価(大阪)でエースだった01年のセンバツ(第73回選抜高校野球大会)。
大会で注目投手の一人に数えられていた野間口は、初戦で新2年生ながら投打で東北高校の大黒柱だった高井雄平(元ヤクルト)に投げ勝つなど、全4試合を完投。初出場のチームをベスト4に導いた立役者となった。
当時の野間口は、高校生らしい勝ち気な、いわゆるエースらしいエースだった。
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「あの頃の自分はもう、怖いものがないというか……。イケイケみたいな感じでしたね」
試合が終わるたびに報道陣は野間口の周囲に集中した。
勝利の原動力となったエースが賞賛され、勝ち進むたびに野間口は大きな見出しつきでその躍動ぶりを報じられた。まだ高校生。有頂天になることもあったはずだ。
感情を胸の奥にしまい込み淡々と取材に応じる中で、時にはいたずらっぽい表情ものぞかせ本音を言うこともあった。公の場を離れればやんちゃなそぶりを見せることもあり、大物感も漂わせていた。
こんな投手が、将来プロで大成するのだろうな。そう感じずにはいられなかった。
プロか、進学か…注目された野間口の進路
そんな野間口がプロへ行くのか、はたまた違う道を歩むのか。夏の大会が近づくにつれて関心が高まる中、選んだのは進学。東京新大学野球連盟に所属する創価大だった。
その理由をあらためてこう述べる。
「夏の甲子園に出ていたらプロを志望していたと思います。センバツは準決勝まで行きましたけれど、どこか完全燃焼できていないところがあって。夏に甲子園に行けば……というのがあったのですが、夏の大阪では3回戦で負けて。プロは違うかなと思うようになって」
野間口が出場を果たせなかった夏の甲子園で、その年の大会を賑わせていたのは150キロ台の速球を連発し、最注目投手でもあった最速155キロの剛腕・寺原隼人(日南学園→ソフトバンク)だった。