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「もう野球はできなくなるのかな…」“プロ注の甲子園ベスト4投手”が数カ月で大学中退のナゼ…野間口貴彦が振り返る「プロ入りまでの波乱万丈」
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沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/28 11:02

関西創価高では春のセンバツでベスト4まで進出した野間口貴彦。進学した創価大をわずか数カ月で中退し、その後の未来が大きく変わることになる
「寺原の活躍を見て2学期が始まって、実は結構モヤモヤしていたんです。プロに行くとなると自分は寺原よりも評価が下になる。自分はセンバツで4試合を1人で投げ切った自負がありました。寺原は、球は速いけれど甲子園では全試合を任されていた訳ではない。その辺りは、自分は負けていないと思っていたので……評価が(寺原より)下になるなら、大学に進んで頑張ろうと思って」
1年春のリーグ戦から登板を果たすなど華々しいデビューを飾るも、入学してわずか数カ月後の1年生の夏の終わりに創価大を中退した。ケガや部内で何かがあった訳ではない。ただ、それまで甲子園という「負ければ終わり」の大舞台で戦っていた快腕にとって、負けても次がある大学野球のリーグ戦というシステムは、当時は魅力を感じられなかったのだ。
「でも、逃げるように辞めるのは嫌だったので、新人戦で優勝してから辞めました。爪痕というか、ちゃんと野球をやっていた何かを残していこうと思ったんです」
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鳴り物入りで入学し、周囲の期待も相当高かったはずだ。プレッシャーはなかったと本人は明かすが、こんなはずじゃなかった、というのが当時の率直な思いだろう。
大学を中退…「野球ができなくなるのかな」
「正直、大学を辞めた時点でプロ野球選手になるという夢は諦めていたんです。あの当時は、今のように独立リーグはなかったですし、大学を途中で辞めれば他に行く道はないみたいな感じだったじゃないですか。
しかも“途中で辞めたヤツは問題を抱えている”って見られがちになります。(大学を辞める頃には)不安を抱える以上に、もう野球ができなくなるのかなとか考えながら、3カ月くらいの時間を過ごしていました」
当時は大卒、社会人の選手に限ってドラフト会議では自由枠や逆指名制度があったため、実績を積み上げ、評価をしてもらえれば好きな球団への入団を希望できた。全国大会へ行く可能性が高く、尚且つ高校時代から知る選手も多く進む創価大を選び、名実ともに認められてプロへ行く――そんな4年後を見据えたつもりだった。
だが、そんな野間口の目論見は、あっさりと崩れることになった。
<次回へつづく>

