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「“不仲、干されて引退”は事実…じつは昔から」J外国人最多152ゴール名FWと“名将の確執”「あの件で気持ちが折れた」なぜブラジル人同士が? 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byMasashi Hara/Getty Images

posted2025/04/18 17:00

「“不仲、干されて引退”は事実…じつは昔から」J外国人最多152ゴール名FWと“名将の確執”「あの件で気持ちが折れた」なぜブラジル人同士が?<Number Web> photograph by Masashi Hara/Getty Images

ヴィッセル神戸時代のマルキーニョス。“あの名将”との確執が、引退の引き金となった

「僕が鹿島でプレーしていて彼が柏レイソルの監督だったときのことさ。試合終盤、両チームの選手が少しエキサイトした。このとき、ネルシーニョが柏の選手に向かって『マルキーニョスを削れ』と叫んだ。これを聞いて彼に詰め寄り、言い争いになった。その時のしこりが、ずっと残っていた」

――2014年にあなたが神戸へ移籍し、翌年、ネルシーニョが神戸へやってきた。

「彼は僕のことをとても嫌っていて、クラブの首脳に僕の退団を求めた。でも、彼らが応じなかったので、僕をいびり始めた。わざと守備的なポジションで起用したり、突然、試合の出場メンバーから外したり。特に、セカンドステージでは早い時間帯で交代させられることが増えた。7月末のサンフレッチェ広島戦では、先発から外れ、チームが大量のリードを許したのに起用されなかった(0-4と大敗)。これでやる気をなくした」

当時39歳…この件で気持ちが折れて引退を決意した

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――当時の報道では「8月のJリーグ中断中、練習態度が悪いという理由で監督から叱責され、練習に来なくなった」ということでした。

「それは、監督の説明がそのままメディアに伝わったから。僕がいつも真面目に練習することは、誰でも知っている。監督と対立したのは事実だけど、それは彼がきっかけを作ったから。僕の退団を望み、無理となったらあからさまな嫌がらせを続けたからなんだ」

――なるほど。ネルシーニョには彼なりの言い分があるのかもしれませんが……。

「当時39歳だったけれど、自分ではまだもう1、2年、プレーできると思っていた。でも、この件で気持ちが折れてしまい、引退を決意した」

それでも日本に愛着…なぜ未知の国で順応できたか

 とはいえマルキーニョス自身、日本のフットボールに対して大きな感謝と愛着を寄せている。

「日本に関する知識は全くなかった」

 2001年の来日前は未知だった国で、なぜ彼はフィットし続けて10年以上の長期間ゴールを陥れ続けることができたのか――。〈つづく〉

#2に続く
「納豆…最初ムリだった」ブラジル人がJリーグ最強FWになるまで「焼肉やラーメン好きに」「オカダさんとオシム、鹿島ではウチダが素晴らしかった」

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