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《松坂世代ドラフト裏話》ベイスターズのスカウトが「6月なのに辞表」…自由枠・久保裕也獲得確実のはずが「事態は大きく変わってしまった」 

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長谷川国利

長谷川国利Kunitoshi Hasegawa

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posted2025/04/08 11:02

《松坂世代ドラフト裏話》ベイスターズのスカウトが「6月なのに辞表」…自由枠・久保裕也獲得確実のはずが「事態は大きく変わってしまった」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2002年、巨人の自由獲得枠で入団した久保裕也。当時横浜のスカウトだった人物が明かすウラ話とは

 法政大のグラウンドに足を運んだときのことです。施設の改修工事が行われていたのですが、工事看板を見ると請け負っている会社が西武のグループ会社だったのです。

 しばらくすると案の定、後藤は自由枠で西武に獲られました(これで本来欲しかった日本大の村田修一に方針転換したのは皮肉なものです)。おそらくですが、西武はグループ会社を挙げて後藤の獲得に動いていたのだと思います。

久保裕也の自由枠に異論はなかったはずなのに

 もう1人の久保は、沖学園(福岡)時代から見ていたピッチャーでした。

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 フィールディングもバッティングも良く「ショートでも面白い」という、野球センスの良さが最初の印象でした。それで私の後輩でもある東海大の伊藤栄治監督に、「面白い選手がいるぞ」と話して、東海大に橋渡しをするような形になったのです。久保は大学でも早くから活躍し、期待に応えて自由枠でなければ獲れない選手に成長してくれました。

 高校時代から見てきた強みもあり、争奪戦になる前に早々に久保から「お世話になります」と返事ももらっていました。巨人サイドからも「阿部慎之助が『ボールを受けたい』と言っていたよ」みたいな話をされたそうですが、久保は「阿部さんとは対戦したいですから」と断りを入れていました。久保は私を信じて、巨人を断ってまで横浜を選んでくれたのです。久保の映像を見てもらった現場トップの2人、監督の森祇晶さんとヘッドコーチの黒江透修さんも「変化球もいいし、これはいいね」ということで、久保の自由枠獲得に異論はありませんでした。全ては順調に進んでいました。

 ところがしばらくして事態が大きく変わったのです。〈つづく〉

#2に続く
ドラフト目玉への“不義理”で大学監督に土下座も…なぜ横浜を辞めたスカウトは巨人・原監督と阪神・星野監督に「一緒にやろう」と歓迎されたか

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