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大相撲PRESSBACK NUMBER
「国技館に悲鳴が…」「驚異の視聴率65.3%」伝説の横綱・千代の富士に、なぜ国民は熱狂したのか? 元NHK名物アナが「大将」と酒を酌み交わした夜
text by

藤井康生Yasuo Fujii
photograph byKYODO
posted2025/04/04 17:01

横綱昇進が決まり、同部屋の力士たちに担がれる千代の富士(1981年7月、当時26歳)
千代の富士が引退して九重親方となり、もう何年も経ってから当時の話を聞いたことがあります。
「初めての優勝パレード、国技館を出発する時もものすごい数の人で、へー、これが優勝なんだと思ったね。それよりもすごかったのが(九重)部屋に着く時だよ。当時、江戸川区に部屋があってね、部屋の100mぐらい手前でオープンカーを降りて歩くんだけど、もう前に進めない。後で聞いたら1万人も部屋の周りに集まっていたっていうからね。100mを30分以上かけて人をかき分けながら歩いた。親方(元横綱北の富士)が待っている部屋の前に到着した時には、羽織の紐がないんだよね、もぎ取られたみたいで……。草履は踏まれるし、大銀杏も崩れるし……。その時、親方から『お前の人生、これから変わるぞ』と言われたのを覚えている」
一杯飲みながらでしたが、そんな話をしてくれました。
再び北の湖を倒し、横綱昇進へ
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日本中が湧きかえった千秋楽から3日後の1月28日、千代の富士の大関昇進が正式に決まりました。飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことで、新大関の場所、続く大関2場所目といずれも千秋楽まで優勝争いに加わり、次の昭和56年七月場所で綱取りへと期待は高まりました。
迎えた七月場所初日、最も苦手としていた前頭筆頭の隆の里に敗れます。しかし千代の富士は、逆境をものともしない精神力の強さも持ち合わせていました。2日目から白星を積み重ね13連勝。千秋楽はまたしても横綱北の湖との一騎打ちとなりました。13勝1敗同士の相星決戦です。
この時も、千代の富士は左前まわしを狙って立ちますが、北の湖得意の左四つとなります。そこから北の湖の右おっつけを凌ぎ、千代の富士は右も前まわしを取って、右からの出し投げで崩して北の湖を寄り切りました。
場所後の、横綱審議委員会も理事会も満場一致で千代の富士の横綱昇進を決めます。昭和56年7月22日、58代横綱千代の富士が誕生しました。