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「まさかの失速…レース後に号泣」箱根駅伝“あの天才ランナー”吉居大和22歳の今「臆病になっていた」…本人に聞いた「マラソン挑戦の時期は?」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byJMPA
posted2025/01/18 11:06
2022年箱根駅伝1区。独走で区間新を叩き出した吉居大和(当時・中央大2年)
だからこそ、本人も困惑した。
レース後に涙「臆病になっていた」
11月10日、ニューイヤー駅伝の予選会ともいえる中部・北陸実業団対抗駅伝競走大会があった。エース区間の4区をトップで走り出すも、吉居のペースが上がらない。トヨタ紡織の選手に抜かれ、区間8位。全体2位でニューイヤー駅伝の出場権を得るも、レース後、吉居は人目を憚らずに泣いた。
〈練習では調子が良かったのに、こうなった理由が分からない。1人で走り抜く力がなかった。地元の声援に良い走りで応えたかった〉(東愛知新聞Web/11月10日)
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失速の原因を吉居はこう分析する。
「僕の精神的な面ですね。緊張のしすぎというか。地元の田原で行われる予選で、4区というエース区間を任された。だから、絶対に優勝しかないと思っていました。自分で自分を追い込みすぎてしまって。15kmなので箱根より短いですし、体は問題なかった。でも、後ろのランナーばかり気にして、臆病になっていました」
「マラソン挑戦の時期」あの吉居ならば…
トラックの調子が上がれば、駅伝で苦しむ。駅伝で走れても、トラックにつながらない。大学時代から今日まで、ままならなさを誰よりも痛感しているのは、他ならぬ吉居であるはずだ。
思えば取材中、吉居の口調は常に一定だった。箱根の区間賞を振り返る時も、伸び悩んだ苦悩を語る時も、あくまで同じトーンで話していた。これまでの競技人生で吉居が身につけた、術にも見えた。
その境地は1区で飛び出さなかったニューイヤー駅伝の走りにも通じるものがあるように思えた。「タイムとか気にせずに行ってしまえ」を封印した吉居は、競技者として成熟したのか。あるいは臆病になったのか。だが「ニューイヤーでも区間賞を取って、世界大会に個人でも出場するような選手になることが解決策」とさらりと言い放つあたり、吉居ならば……と思わせる底知れなさも確かにある。
2028年五輪は1万m、2032年はマラソンを狙う。思い通りにいかなくても、それでも、吉居は走る。