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「モテたいだろ、お前ら」箱根駅伝を逃した原晋と青学大“最後のチャンス”…学連選抜の奇跡はなぜ起きた? 教え子の証言「監督もあの時だけは…」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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posted2025/01/14 11:01

「モテたいだろ、お前ら」箱根駅伝を逃した原晋と青学大“最後のチャンス”…学連選抜の奇跡はなぜ起きた? 教え子の証言「監督もあの時だけは…」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2008年の箱根駅伝。青山学院大学OBの横田竜一さんは史上最高の総合4位に入った関東学連選抜チームのアンカーを務めた

学連選抜が起こした大波乱「戦う集団になっていた」

 連合チームの弱点は、チームとしてのまとまりのなさだった。本戦まで2カ月弱しか時間がなく、一度や二度の練習会で気心を通い合わせるのは難しい。事実、前年度の学連選抜チームは、参加20チームの中で最下位に終わっていた。

 だが、この年の選抜チームは違った。選手が目標に掲げたのは「3位入賞」。原監督の発案でオリジナルのチーム名「JKH SMART」(ジャパンのJ、関東学連のK、箱根のHに、選ばれた部員が籍を置く大学の頭文字を合わせたもの)を決めると、自ずと一体感が醸し出された。

「監督はああいう人なので、多分、短期決戦は得意だと思います。モチベーターとして気持ちを盛り上げるのが本当にうまい。選手の懐にスッと入っていって、個性を見極めてましたね。どこの選手にも関係なく、『楽しくやろう。モテたいだろ、お前ら』って。正直、練習はコーチでも見られるけど、ああいう雰囲気にできるのは原監督ならでは。最終的にはみんなが同じベクトルを向いて、戦う集団になっていましたから」

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 2度の練習会に加え、12月中旬には千葉で合宿も行った。それだけでは物足りず、クリスマスの日にもう一度、選手たちはグラウンドに集まっている。監督が呼びかけたのではない。選手たちが自ら携帯でメールをやりとりし、最後にもう一度集まって一緒に練習がしたいね、と自主的に集まったのだ。それほど選手間の仲は深まっていた。

 いざ2008年の箱根駅伝が幕を上げると、学連選抜チームの真っ白な襷が輝きを放った。1区から区間上位で襷をつなぐと、5区に抜擢された上武大の福山真魚が区間3位の快走。往路を終えて4位と好位置につけた。

 翌日、復路に起用された選手も堂々とした走りで襷をつなぎ、一時は優勝する駒澤大に追いつこうかという勢いだった。この波乱の展開をドキドキしながらテレビで見ていたのが横田さんだ。原監督からは、アンカーでの起用を命じられていた。

「10区だから時間の余裕があるので、8区の途中くらいまでは(前夜泊まった)ビジネスホテルでテレビの中継を見てました。当時、母校の中京大中京高から2人後輩が入部していたんですけど、その内の一人が付き添いをしてくれて、思わず『どうなってんの』って顔を見合わせましたね。目標は3位でしたけど、ここまで上手くいくとは誰も思っていなかったんじゃないですか」

【次ページ】 総合4位で笑顔のフィニッシュ「監督もあの時だけは…」

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