箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「モテたいだろ、お前ら」箱根駅伝を逃した原晋と青学大“最後のチャンス”…学連選抜の奇跡はなぜ起きた? 教え子の証言「監督もあの時だけは…」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/14 11:01
2008年の箱根駅伝。青山学院大学OBの横田竜一さんは史上最高の総合4位に入った関東学連選抜チームのアンカーを務めた
総合4位で笑顔のフィニッシュ「監督もあの時だけは…」
だが、いざ走り出せば、そんな緊張はどこ吹く風だった。前と後ろが離れていたこともあり、4位の位置で悠々と襷をつないだ。運営管理車に乗る監督から声がかかったのはこんなシーンだった。
「19km過ぎの皇居近くでした。原監督が『もういいよ』って言ってくれたんです。後ろも離れているし、前とも1分差あるから無理するなと。最後は左折して、高架をくぐると大手町のゴールが見えてくるんですけど、人垣が幾重にもなっていて、まるでスターになった気分でしたね。ゴールテープの向こうに仲間の姿が見えたので、そこに飛びこんでいきました」
仲間が待ち受ける大手町。横田さんは笑顔で総合4位のゴールテープを切った。青学大と言えば、この笑顔のフィニッシュが印象的だが、初代は横田さんだったのだ。
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「なんか楽しかったですね。仲間って定義は難しいけど、ひとつの目標に向かって一丸となって戦う集団ってことで言えば、間違いなくあの選抜チームは仲間でした。監督もあの時だけは『ようやった』って褒めてくれましたよ」
真っ白な襷ではあったが、最終学年で箱根駅伝を走ったことは、4年間の大学生活で間違いなく白眉と言える出来事だった。青学大のチームメイトは横断幕を作り、視界に入りやすい場所でそれを掲げて応援してくれたという。
現在とはまるで異なる青学大の黎明期を知る横田さんにとって、実際のところ原監督はどんな指導者だったのか。その評価は、じつに意外なものだった。
<続く>