“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「誹謗中傷で家族にも迷惑が…」審判の人生も狂わせた“高校サッカー最大の誤審”「作陽のVゴール」を見逃した“熱血先生”を支えた青山敏弘の活躍
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2025/01/20 11:02
作陽vs水島工業のOB戦で主審を務めた青木隆さん(66歳)
電話の主は作陽の野村雅之だった。当時の監督で、現在は総監督としてサッカー部に携わり、同校の校長も務めている。
野村とも度々現場で顔を合わしていたが、22年前の試合に関しては話したことがない。
「青木さん、12月22日に作陽と水島工業の再々試合をやることになりました。笛を吹いていただけませんか?」
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思いがけない依頼だった。
実は2012年にも一度、両校のOB戦は行われている。ただ、まだ現役だった青山はわずかな出場にとどめており、もちろん青木も参加していなかった。両校のメンバー、そして関係者にとって“希望”だった青山の引退を機に、青木にもチャンスが与えられた。同じ教育者として高校サッカーに貢献してきた野村の粋な計らいだった。
野村は青山の引退セレモニーの後、すぐに当時の両チームのキャプテンに連絡し、青山本人にも試合開催を打診した。
「引退セレモニーには私も参列させてもらっていたのですが、目の前で青山の言葉を聞いて、『今しかない』と思ったんです。あの出来事はたかが誤審ではなく、本当にいろいろな人の人生を変えたのは事実。でも、月日が全てを洗い流さないまでも、薄まってはいくんです。ネガティブな感情が渦巻く中から、みんな月日をかけて少しずつ成長をして、いろんな経験をして、小さな過ちも犯していく中で、完全に浄化はされないけど、月日が徐々にネガティブな感情を薄めていく。さらに青山という一人の選手の歩んだサッカー人生が、あの出来事をポジティブに変えていってくれた。あの出来事に本当の意味で一区切りできるのは、彼が引退する今しかないと思ったんです」(野村)
家族は反対…なぜ引き受けたのか?
ぜひ、やらせてください。青木は、快諾した。もちろんリスクはあった。
2011年に現役審判を引退し、次世代の審判員育成に加え、大学で教員を務める青木にとって、再び「誤審」の話題が掘り起こされるのはプラスのことばかりではない。さらに当時を知る家族には猛反対された。それでも、青木は決断する。
「私の人生において、あの出来事は死ぬまで残り続けるし、思い続ける。だからこそ、生きているうちにあの選手たちの前でもう一度笛が吹けるという巡り合わせに、断る理由はありませんでした」
青木はすぐに日本サッカー協会の関係者に趣旨を伝えると、審判委員会で委員長を務める扇谷健司氏からも「青木さんが問題なければ大丈夫です」と許可を得た。
プロの舞台で活躍する青山をのぞいては、当時の選手たちとの交流はほとんどない。どんな再会になるのか――青木は楽しみと不安の狭間で揺れながら来る日に備え始めた。
〈つづく〉
◆第3回では、OB戦当日の様子、そして青山敏弘ら関係者が明かした22年後の本音に迫っている。