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「誹謗中傷で家族にも迷惑が…」審判の人生も狂わせた“高校サッカー最大の誤審”「作陽のVゴール」を見逃した“熱血先生”を支えた青山敏弘の活躍
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2025/01/20 11:02
作陽vs水島工業のOB戦で主審を務めた青木隆さん(66歳)
ただ、高校サッカーの悲劇として今も語り継がれる試合は、青木にとって審判という仕事をより深く理解する機会にもなった。
「JFAの方に『重大な誤審をしたのだから、もう審判はダメだ』と言われたら、受け入れるつもりでした。でも、誰一人それは言われなかったんです。むしろ、審判協会としてはぜひ続けて欲しいと。審判の道に導いてくださった人たちへの恩義は絶対に忘れてはならない。これも審判を続ける大きな理由でした」
JFAのサポートにとどまらず、青木の審判人生の励みになったある選手の存在があった。あの試合で、幻のVゴールとなったシュートを放った青山敏弘だ。
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「彼が輝くことが純粋に嬉しかった」
あの試合の翌年、3年生になった青山はキャプテンとして選手権に出場。その後、サンフレッチェ広島に入団し、2014年ブラジルW杯にも出場するなど日本代表としても活躍した。昨シーズンまで広島一筋21年、プロサッカー選手という仕事をこれ以上ないまでに全うして、クラブのレジェンドになった。
J初ゴールの試合で副審を担当
青山とは、不思議と縁がある。
2006年8月26日の鹿島アントラーズ戦で青山はJリーグ初ゴールをマークした。実はこの試合の副審を務めていたのが青木だった。
これまでも、スタジアムで会えば言葉を交わす。しかし、あの誤審についてはお互い一切言及しなかった。初ゴール後もこれまでと同じようにエールを交換するに留めていたが、青木は胸がいっぱいになっていた。
翌日の新聞に『幻のゴール 4年後雪辱』と誤審との因縁を結びつける記事が掲載されても、嬉しさが勝っていた。青山の活躍は審判員としての活動の支えになっていたのだ。
昨年12月1日、青山の引退セレモニー。大観衆で埋まったエディオンピーススタジアムでスピーチする姿を青木はテレビの前で見つめていた。冒頭で発した青山の言葉に、涙を抑えることができなかった。
「岡山で頑張っていたあの頃が今の自分を作っています。特に作陽高校時代に経験した『幻のゴール』。当時は辛く、苦しい思いもしましたが、あの出来事があったからプロに入って、何度も立ち上がれる強い気持ちを培うことができました。岡山の皆様、ありがとうございました」
青木は再び目を潤ませる。
「本当に嬉しかったし、改めて、やっぱり、心から申し訳ないことをした、と。これで自分が浮かばれるとは思ってはいませんが、青山選手には感謝の気持ちしかありませんでした」
青木の携帯電話が鳴ったのは、この出来事から2日後のことだった。