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玉井陸斗にかけてもらった五輪メダル…亡くなった“飛込界のレジェンド”馬淵かの子さん、記者が目撃した情熱「80代でもプールサイドに…」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2025/01/12 11:03

玉井陸斗にかけてもらった五輪メダル…亡くなった“飛込界のレジェンド”馬淵かの子さん、記者が目撃した情熱「80代でもプールサイドに…」<Number Web> photograph by KYODO

パリ五輪で銀メダルを獲得した玉井陸斗と馬淵かの子さん

 現役時代に苦い思い出があるという。それは3度目の大舞台となった東京五輪だ。メダルを獲る自信を持って臨み、客観的にも有力候補としてあげられる位置にいた。だがそれが思いがけない状況を招いた。大会の日程的に、日本のメダル第1号になる期待が寄せられ、会場は満員となった。

 観客の数だけではない。歓声もやまず、本来なら選手が飛び込む前は静粛にすることが求められるにもかかわらず、やむことがなかった。

 経験したことのない場内の空気に重圧が押し寄せ、1本目で失敗。最終的に7位で終えることになった。

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 東京で手にすることができなかったメダルを――その一心で現役生活を長く続け、その後はメダルを獲れる選手を育てることに力を注いだ。

上達が著しかった、馬淵優佳と玉井陸斗

 そのためには手を借りることも惜しまなかった。1989年、中国の蘇薇(スウ・ウェイ)をコーチに招き、飛込み大国の指導法を取り入れた。蘇薇は1998年に日本国籍を取得、馬淵崇英としてトップクラスの選手を育て上げるのに尽力してきた。

 馬淵かの子が原則、小学5年生まで指導にあたって基礎を教え、そこから馬淵崇英コーチらに引き継ぐ流れとなっていった。

 ときに、上達が著しく、早めに馬淵かの子のもとを離れる選手もいた。馬淵崇英コーチの娘である馬淵優佳は小学3年生まで馬淵かの子に教わり、その後中国の女性コーチに教わったあとで、父の指導を仰いだ。

 同じく小学3年生でシニアのクラスへと送り出した選手がいた。それが、玉井陸斗だった。

帰国した玉井は、馬淵かの子にメダルをかけた

 JSS宝塚の体験教室に来た小学1年生の玉井を見て、すぐさま豊かな将来性を感じ取ったという。

「手の長さなど身体的なところ、体幹がしっかりしているところ。天性的なものを持っていました」

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