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「走れることって、当たり前じゃない」青学大・鶴川正也はなぜ“消えた天才”にならなかった? “世代最強エース”が最後の箱根駅伝に「間に合った」ワケ
posted2025/01/12 06:01
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
Kiichi Matsumoto
(1)13.34.74 石田洸介 東農大二(群馬)→東洋大
(2)13.36.57 伊藤大志 佐久長聖(長野)→早大
(3)13.45.28 鶴川正也 九州学院(熊本)→青学大
(4)13.48.59 徳丸寛太 鹿児島実(鹿児島)→東海大
(5)13.48.83 野村昭夢 鹿児島城西(鹿児島)→青学大
(6)13.48.89 山本歩夢 自由ケ丘(福岡)→国学院大
(7)13.50.31 佐藤榛紀 四日市工(三重)→東国大
(8)13.53.77 越陽汰 佐久長聖(長野)→東海大
(9)13.54.88 尾崎健斗 浜松商(静岡)→明大
(10)13.55.74 太田蒼生 大牟田(福岡)→青学大
上記の表は、いまから4年前、2020年シーズンの高校3年生5000mタイムランキングの日本人上位10傑だ。こうして見ると、いずれも駅伝ファンの間ではお馴染みの選手たちの名前が並ぶ。
もちろん高校卒業後は、予想通りの成長を見せた選手もいれば、そうでない選手もいただろう。ただ、自身の好不調の波やチーム状況の浮沈こそあれ、部を離れたようなイレギュラーなケースを除くと、年始となれば皆が何度かは箱根路でその雄姿を見せてくれていた。
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そんな中で、昨年まで一度も箱根駅伝に姿を見せることが無かった選手がいた。それが、青学大の鶴川正也だった。
「速くて強い」…“世代最強”だった高校時代
高校時代の鶴川は、とにかく「強く」て「速かった」。
熊本・九州学院高時代はインターハイ5000mで2年生ながら7位に入賞。世代最上位の結果を叩き出すと(※3年目は新型コロナウイルス蔓延のため中止)、冬の全国高駅伝でも2年目、3年目と2年連続でエース区間である1区10kmを任された。
2年時は区間3位。3年時は強烈なスパートで最後まで競り合った尾崎健斗(浜松商高→明治大)を振り切り、区間賞も獲得している。長い高校駅伝の歴史の中で、エース区間の1区を2度、28分台で走った日本人ランナーは鶴川だけだ。
トラックレースの5000mでも上記の表の通り、高校歴代6位(当時)の記録をマークするなどスピードにも定評があった。
それほどの安定感と勝負強さを見せていた鶴川。だが、大学入学後は苦しんだ。
度重なる故障に悩まされ、ようやく学生3大駅伝初出走となった一昨年の出雲駅伝アンカー6区でも、区間7位と失速。その後は焦りから高負荷の練習を行い、大腿骨を疲労骨折。昨年のチームの箱根駅伝総合優勝も「自分が走っていないので……」と、素直に喜べなかったという。