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玉井陸斗にかけてもらった五輪メダル…亡くなった“飛込界のレジェンド”馬淵かの子さん、記者が目撃した情熱「80代でもプールサイドに…」
posted2025/01/12 11:03
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
KYODO
1月4日、馬淵かの子が肺炎のため亡くなった。86歳だった。
日本飛込の功労者と言ってさしつかえない。
80代でもプールサイドに…記者が目撃した情熱
選手として、1956年メルボルン五輪から1964年東京五輪まで3大会連続出場。その後36歳まで現役生活を続けて引退。そののち指導者となり、兵庫県宝塚市のスイミングスクール「JSS宝塚」で飛込の指導にあたった。教え子には娘の馬淵よしの、寺内健、馬淵優佳、そして玉井陸斗らの名前が並ぶ。つまり日本を代表する選手たちを育ててきた。日本の飛込の歴史に欠かせない人だった。
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80代になってもプールサイドで指導にあたっていたという。
80歳になる手前、70代が終わろうという頃に指導する姿を目にする機会があった。関西の人ならではの言葉遣いと、元気な声で明るく声をかけていた姿、それに対して選手が見せていた引き締まった表情、それらの光景を覚えている。選手の真剣な表情は、馬淵かの子の競技との向き合い方を示しているようでもあった。なによりも年齢を思わせない姿がそこにあった。
現役時代にあった“苦い経験”
その原動力は、オリンピックメダルへの思いにあった。