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「今日から俺の前に座れ」野村克也から異例の命令…“6年連続Bクラス”だった阪神を蘇らせた「伝説のミーティング」「マル秘と記された冊子」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/12/27 17:01
阪神タイガースにとって、野村克也が率いた3年間とは何だったのか?
「今日から俺の前に座れ」なぜ野村は命令したか?
『今日から俺の前に座れ――』
新監督にそう言われたのは、そのシーズンが始まってすぐの頃だった。ゲーム中、野村はベンチ後列の一番ホームベース寄りに椅子を置いてそこに座る。だから、そのすぐ前が和田の“指定席”になった。
黄色いメガホン片手に足を組んだ野村は試合の間中ずっと何事かを発していた。近くでなければ聞こえない声でブツブツブツブツ……。和田はこの“配球”を読んだ。
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「監督はそこに座れとしか言わなかったけど、つまり『俺が言うことを若い選手たちに伝えろ』ということなんだと思った」
背中にぼやきを浴び続けた和田は、それを咀嚼して「おそらく監督は……」と年の離れた選手たちに伝えた。そうするうちに和田自身にも何かが蓄積されていった。
木戸克彦はタイガースが日本一になった1985年の正捕手である。あの最初のミーティングで配られた冊子をやはり持っている。ただし、コピーしたのではなく捕手らしく球団内部に手をまわした。当時はバッテリーコーチ。捕手を生業にするものとして野村にある種の畏怖があり、その考えを隅々まで知っておく必要があると考えた。
「誰も気づかないようなデータまで調べている人だったから、こっちも必死だった」
野村がベンチから出した“数々の合図”
試合中、相手のランナーが出る。間も無く野村がベンチで「くさいぞ、くさいぞ」と発する。それがピッチドアウト(盗塁阻止のため意図的にボールを外す)の合図だった。すると本当にランナーは走り、それを捕手の矢野が悠々と二塁で刺した。
あるとき木戸が自己判断でピッチドアウトのサインを出した。だがランナーは走らず、その回の失点によってチームは敗れた。
試合後、木戸は野村に呼ばれた。
「そこから1時間半ずっと説教だったよ。あの場面で95%走ってくる根拠をすべてあげてみろって言われてなあ」
巨人戦になると野村がベンチで叫んだ。
『新幹線や!』。すると阪神の投手が清原和博ら巨人のクリーンアップの胸元を抉る。
「巨人のユニホームには胸に『TOKYO』と入ってたから、新幹線で東京へ。そういう意味で内角攻めの合図だった」
そこにも根拠はあった。野村は木戸に、打者がどちらの手でバットを持って打席に入ってくるかをよく見ておけと言った。「右打ちなら右手、左打ちなら左手、つまり後ろの手でバットを持つ打者にはインコースが効くんやと。逆にイチローのように左打ちの右手、つまり前の手で持っている打者には打たれる。清原は右手で持っていたから内角攻めだと、そういうことだった」