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マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
他球団は「東海大を敵に回せない」“巨人縛り”の菅野智之を日ハム「強行指名」のウラ話…オリオールズ移籍で思い出す“2011ドラフト狂騒曲”
posted2024/12/27 12:01
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
高校時代から熱望していた読売ジャイアンツ入団を主張して、他球団の指名は拒否することを表明していた東海大・菅野智之投手。
本人の堅固な意向と、お母さんのお兄さんが原辰徳・巨人監督という環境から、ほとんどの球団が「とても無理」と撤退する中、その巨人と日本ハムだけが菅野投手を1位指名。抽選の結果、日本ハムが「選択確定」の札を挙げた。
「あの年は、ピッチャーが東洋大・藤岡(基裕、元ロッテ他)、明治大・野村(祐輔、元広島)に菅野が三羽ガラスでしょ。で、野手なら高橋周平(東海大甲府、現中日)。そのへんが目玉といわれていたけど、日本ハムだけが読めなかったんだ」
スカウトが振り返る「2011ドラフト狂騒曲」
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当時、現職スカウトだった方に話を聞いてみた。
「会場に向かうエレベーターの中で、(1位は)誰ですかって山田(正雄、当時日ハムスカウト部長)さんに訊いたら、『楽しみにしていてよ……』ってニコッと笑ってね、いつものように」
日本ハム1位・菅野智之。
元スカウトは、その瞬間に確信したという。
「東海大の時の菅野っていったら、あの年は総合力でやっぱり抜けたNo.1でしたよ。(東海大)相模の頃は、空振り三振取れるようなまっすぐじゃなかったけど、大学ではまっすぐも10キロ近く速くなっていたし、変化球もスライダーにフォークに、やっぱりシュートを持っていたのが大きかった。もともとコントロールは一級品でしたからね」
そこまでの逸材を、ならば他の10球団はどうして見送ったのか。
「本人がかたくななほど巨人一辺倒でしたからね。誰かに言わされているとか、状況としてしょうがないじゃない。とにかく、本人がジャイアンツに惚れ込んでいるという印象だった。あそこまで傾倒されちゃったら、仮に無理やり自分とこに持ってきたとしても、健全な精神状態で野球やってくれるのかなという心配すらありましたよ」