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〈専修大学〉「早く終わってほしかった…」2年前の屈辱を乗り越え、新井友裕(3年)を強くしたエースの自覚

posted2024/12/19 10:00

 
〈専修大学〉「早く終わってほしかった…」2年前の屈辱を乗り越え、新井友裕(3年)を強くしたエースの自覚<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

箱根駅伝予選会では、チーム内の日本人選手としてトップ、全体でも21位の好走を見せた新井

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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Nanae Suzuki

 2大会ぶりで第101回箱根駅伝に出場する専修大学には、2大会前の経験者が3人いる。そのひとりが、当時1年生で4区を走った新井友裕(3年)だ。

 1年目から箱根駅伝に出場できたことは、さぞかし名誉なことだったのでは……そう思いきや、新井にとって初めての箱根路には苦々しい記憶しかなかった──。

 埼玉・浦和実業学園高校出身の新井は、高校2年時の埼玉県高校駅伝4区で区間賞を獲得し、7区間中5区間で区間賞を獲得した県内の強豪・埼玉栄高校に一矢報いた。高校時代の5000mの自己記録は14分33秒に過ぎなかったが、ロードでの強さが光る活躍もあって多くの強豪校からスカウトを受けた。

 その中から進学先に選んだのが専大だった。

「高校時代は自分で考えて練習に取り組んでいました。専大も自分で考えることに重点が置かれていると伺い、自分に合っていると思いました。先輩と後輩の仲が良く見えて、過ごしやすい環境だなと感じたことも専大を選んだ理由のひとつです」

 その直感は正しかった。入学して早々に5000mで自己ベストを連発。1年生にして関東学生陸上競技対校選手権の対校選手にも選ばれた。

 10月の箱根駅伝予選会には、新型コロナウィルスに罹った影響と夏の疲労があって出場が叶わなかったが、その後調子を取り戻すと箱根駅伝の出番が回ってきた。

後悔しか残らなかった初の箱根駅伝

 当初は「復路に起用する」と伝えられていたという。しかし、直前に故障者や体調不良者が出たため、新井は急遽、往路の4区を走ることになった。

「4区は強い選手が起用される区間なので、そこで1年生の自分が勝負するというよりも『何かひとつでも持ち帰ろう』と監督やコーチに言われていました。もちろんしっかり勝負するつもりはありましたが、そこで何を感じるかが大事。自分でも、次に繋げるための経験にしようと思って走りました」

 しかし、4区の20.9kmは新井にとって厳しい道のりになった。

「1年目は箱根駅伝に出ること自体を目標にしていたので、部内選考で勝つことに全ての力を使ってしまい、本番はただ走っただけになってしまいました」

 前走者から18位でたすきを受け取った新井は、自分の走りが全くできなかった。立教大学に抜かれ19位に下がると、2分以上の差があった大東文化大学にも終盤に追いつかれ、最下位に転落してしまった。

「せっかく箱根駅伝を走ったのに、走っている時は『楽しい』というよりも『早く終わってほしい』という気持ちのほうが強かった。それは本当に後悔しています。沿道の応援がすごかったですけど、その応援ですら自分にはきつかった。最下位になってしまい、恥ずかしかったというか……。走るだけでもすごいって言っていただくんですけど、もう少し上位で走りたかった」

【次ページ】 新井を変えたエースの自覚

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