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全国模試1位「旭川の神童」率いるチームはなぜ伝説の高校生クイズで敗れたのか?…クイズ王・伊沢拓司を追い詰めた“ある公立校”「その後の物語」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by本人提供
posted2024/12/12 11:02
2010年高校生クイズに挑んだ旭川東高校の重綱孝祐と塩越希。優勝した伊沢拓司率いる開成も恐れた“北の公立校”のその後とは?
4問目はヒエログリフ(※古代エジプトの象形文字)で書かれた単語を読む問題だった。
「バビロン」と書かれたその問題を最初に答えたのは、旭川東ではなく県立浦和だった。
「ヒエログリフって子音と母音の組み合わせなんですよ。その上で問題文の1文字目と2文字目の子音が同じとか、じゃあエジプトといえばとか、そういう情報や知識はあったはずなんです。だから、普通ならそこから絞り込むことはできていたはずなんですが……やっぱりあの瞬間は、焦りがあったんでしょうね」(塩越)
ここまでチームの“裏回し”として流れを作ってきた重綱は、勝ち上がる開成と県立浦和を送り出す瞬間を、こう振り返る。
「『決勝、頑張って!』ってカッコつけて言ったところまでは覚えているんです。でも、その後、どうやって帰ったかとか、実際の決勝をどこで見たかとか……全然、記憶にないんですよね。多分、悔しすぎて自分の中で記憶が消されているんです」
こうして後の“クイズ王”伊沢が「最も恐れた」北の公立校の夏は、開成との直接対決に辿り着くことなく、あっさりと幕を閉じた。
クイズは続けなかった…「神童」のその後
『高校生クイズ』から半年後、“旭川の神童”塩越の姿は東京大学にあった。
高校時代から志していた法曹の道に進むべく、法学部を目指して赤門をくぐったのだ。全国トップの頭脳にとっては、入学自体はそれほど難しいことではなかったのかもしれない。
その一方で、競技クイズは続けなかった。
「最初、少しだけ東大のクイ研にはいたんです。でも、なんとなく足が遠のいてしまって。僕がいた時は大会での優勝を目指して、ガリガリとクイズをやる感じではなかった――」
そう途中まで言いかけ、塩越は言葉を変えた。
「いや、違いますね。結局は自分の本気度です。本気でやりたかったら別に他の大学のサークルに入ったって良かった。たぶん僕はやるなら突き詰めて、上を目指したいタイプなんです。でも、大学に入って、社会人とも戦うようなフィールドに挑むには、ものすごくクイズに時間を割かないといけない。大学の勉強があって、司法試験もあって、自分の将来もあって――そうなった時に、僕はそこまでクイズにベットすることができなかった」
ただ、むしろそれは至極当然の考え方だろう。
当時、「クイズで食っていこう」などという頓狂な発想は、普通の人間には出てこないものだったはずだ。
そして、塩越のその感覚を重綱はここでも「普通の公立校の限界」という言葉で表現した。
重綱は高校を卒業後、早稲田大学に入学。塩越同様、当初はクイズサークルに身を置いたものの、少しずつ足が遠のくようになったという。
「もちろん最大の目標だった『高校生クイズ』がなくなって、少なからず燃え尽きた部分はあった。でも、一番はクイズそのものよりクイズプレイヤーやクイズの価値をどうやって上げていくかの方が大事じゃないかと思うようになってしまったんです」