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青山学院大学 箱根駅伝4連覇時の主将だった吉永竜聖さん。日本生命入社7年目の今もなお生き続けている原晋監督の言葉 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byAFLO / Wataru Sato

posted2024/12/10 10:00

青山学院大学 箱根駅伝4連覇時の主将だった吉永竜聖さん。日本生命入社7年目の今もなお生き続けている原晋監督の言葉<Number Web> photograph by AFLO / Wataru Sato

日本生命入社7年目、青山学院大学が箱根駅伝4連覇した年の主将だった吉永竜聖さん

 ともすればそんなプレッシャーに押しつぶされそうになる中、レギュラーを確約されていない自分がどのようにしてチームを引っ張っていけば良いのか。吉永さんはひたすら悩んだという。

「僕の前の主将は、藤川(拓也)さんとか、神野(大地)さんとかすごい方ばかりで、背中で引っ張っていくタイプでした。キャプテンはこうあるべきだという固定観念があって、自分も最初の頃はそうやってみたんですね。最悪自分の身体はどうなってもいいから、とにかく主将として全部の練習を先頭で引っ張ろうと。でもそれだとうまくいかなくて、けっこう悩んでしまったんです」

 そんな時、監督からこう声をかけられたという。

『お前がまとめようと思ってまとまったチームが強いと思うか。そうじゃないだろう。お前が頑張っている姿を見て、それでまとまったチームの方が強いんだよ』

 その言葉を聞き、吉永さんはふと心が軽くなったそうだ。

「まずは自分のために練習をするようになって、そうしたら自然と後輩たちがついてきてくれるようになりました。自分も競技に集中できるし、ボーダーラインの自分が頑張ることでチームの底上げにもつながった。無理する必要はなかったんだなって。

 今、会社でも後輩がいるんですけど、やっぱり後輩を管理しようとするよりも、自分が頑張る姿を見せて、『先輩がこんなに頑張っているんだから助けてあげよう』と後輩に思われた方がうまくいく。これは大学時代に監督から教わったことです」

主将としての決断

 主将が変わった姿勢を見せることで、チーム状況も好転した。その年の出雲駅伝と全日本大学駅伝は敗れたが、連覇がかかる箱根駅伝に向けて、戦力は厚みを増していった。

 吉永さんは毎日の練習を試合のつもりで臨み、熾烈なレギュラー争いを勝ち抜く勢いだった。監督からも暗に「箱根駅伝の10区起用」をほのめかされていたという。

 だが、12月の直前合宿の最中に事態が暗転する。すねの内側に痛みが出て、ついには痛み止めを飲んでも効かないほど患部を悪化させてしまったのだ。最後は「自分の足を見ていないと床に(足が)ついているかどうかすらわからなかった」と言うほどだった。

 すでに区間エントリーも発表されていた12月30日、吉永さんは朝練習の直後に監督を呼び止め、こう告げた。

「もう足が限界で走れません。代わりの選手を使ってください」

 エントリーされていたのは、アンカーの10区。優勝であればフィニッシュテープを切る重要な役目だ。8区と9区にエントリーされていたのも同じ4年生。監督の頭の中には、頑張った彼らの代に最後はたすきリレーをさせてあげたいという親心もあっただろう。

 だが、そんな最初で最後の箱根駅伝を走るチャンスを、彼は自ら手放したのだ。

「監督も一度は引き留めてくれて、『本当に走れないのか?』って聞いてくれたんですけど、もうフィニッシュできるかどうかもわからなかったので……。この時も自分のことはどうでもいいって思ったんですけど、春とは違ってすごく前向きでした。同じ努力をしてきた後輩なら安心して任せられる。そう思えるチームが作れたのが、自分にとっての達成感かなって。本当に『吉永さんのためにも頑張ります』って言ってくれた後輩も多かったので、1年間やってきたことは間違いじゃないって思えた。そういう後輩たちの言葉があったからこそ、あまり悔いが残っていないのかもしれません」

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