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「体操を辞めるかどうか…」宮田笙子が思いつめていた進退…監督が明かした“変化”「いろいろな人に配慮できるようになってきた」20歳の今後
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2024/11/27 11:02
喫煙問題でパリ五輪を辞退、再出発を切った宮田笙子
監督「(宮田は)体操を辞めるかどうかというところまで考えた」
表彰式の後は笑みが浮かんだ。
19歳だった7月、あってはならない事態を引き起こしてしまった。6月末から7月にかけての飲酒と喫煙で日本オリンピック委員会が定める「国際総合競技大会派遣規程」と日本体操協会の「日本代表選手・役員の行動規範」に違反。パリ五輪代表を辞退し、五輪開幕直前に合宿地のモナコから日本に帰国した。
事態を受けた日本体操協会は第三者機関を設けて事実関係や再発防止に向けたヒヤリングを行なうと決め、そのうえで処分が決まるまでは宮田の大会出場を所属の判断とし、制限しないと決めた。
一方で、宮田本人は憔悴の海で自分と向き合う日々を過ごした。全日本団体選手権後のタイミングで、パリ五輪の出場を辞退した後の宮田の様子について順大の原田睦巳監督に訊ねると、このように言った。
「(宮田は)体操を辞めるかどうかというところまで考えた。それくらい(パリ五輪に)懸けてやってきた。悩んだ末、支えてくれた人のためという気持ちやさまざまなことを自分の中で解決して『前に進もう』という気持ちになったのは、国民スポーツ大会に出ると決めた8月末から9月にかけての頃だったと思う。そこから少しずつ考え方が前向きになってきたのだと思う」
9月に20歳の誕生日、拠点も変更していた
宮田は9月に佐賀県で開催された国民スポーツ大会に、高校時代を過ごした福井県の代表選手として出場。段違い平行棒を除く3種目で演技し、福井県の団体優勝に貢献した。そこには高校時代の恩師である鯖江高校の田野辺満監督の支えもあった。
その試合後、宮田は報道陣を前に発言を申し出て、頭を下げて決意を述べた。
「このたびは私が取った行動によってたくさんの皆さまにご迷惑をおかけしてしまい、深く反省しております。この件に対し真摯に向き合い、今後の競技生活を全うしてまいりたいと思います」
京都出身で高校時代の3年間を福井県立鯖江高校で過ごした宮田は2023年4月に順大に進学したが、パリ五輪までは順大と鯖江の2カ所を練習拠点として強化を続けてきた。順大は男子の活動がメインで、女子のトップ選手が集まるようになったのは昨年から。そのため、パリ五輪を見据える中、練習環境の変化に対するリスクを軽減するという意図を持ちながら鯖江高校で田野辺監督の指導も継続して受けてきた。
しかし、今夏を区切りに鯖江を完全に引き払い、拠点を順大に一本化する生活に切り替えた。中学時代から国際大会に出場するなど体操の経験は豊富だが、年齢的には9月に20歳の誕生日を迎えたばかりの大学2年生。今は独り立ちしていくスタート地点に立ったばかりとも言えるだろう。