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「たぶん、死ぬなぁ」アジャコング51歳が明かす、“ブル・アジャ抗争”のウラ側…“生涯現役”へ「ジャイアント馬場さんの生き方をめざしたい」《全女BEST》
posted2024/09/20 11:02
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Yuki Suenaga
現在はOZアカデミーに所属する一方で、全日本女子プロレス(以下、全女)時代の“61年組同期”工藤めぐみ(愛称・くどめ)さんが「エクスプロージョン・プリンセス」の肩書きでスタッフ入りしている「超花火プロレス」の代表取締役社長も兼任している。女子プロレス界のトップランカーであるため、団体の垣根を超えて、「アタシが出たいと思う団体に出る」スタンスを貫いている。
◆◆◆
――全女時代の93年にWWWA世界シングル王座をかけて闘ったアジャ選手とくどめが、ZERO1(ゼロワン)の4月10日、両国国技館大会で並ぶのは、オールド全女ファンにとってうれしいかもしれません。
アジャ 工藤とのタイトルマッチは両国でしたからね。そういう懐かしい目で見てもらっても結構。工藤が献身的に教えたNATSUMIが、去年、両国でデビューするはずがコロナ禍で延期になり、後楽園でデビューして、今回、やっと本来のデビュー場所であった両国大会に出られる。それを観てほしいというのが一番。これからの女子プロレスを背負う彼女たちがめざす本筋は、両国や日本武道館といった大場所だよって、後楽園ホールの満員で満足してるんじゃないよって、そう言いたい。大会場が満員になる道筋を作るうえで、アジャコングという客寄せパンダを利用できるんであれば、いくらだってパンダになりますよ。ただ、それで来たお客さんをつかむのは、君たちだよって。
アジャコングに影響を与えた“4人の名レスラー”
――それはおそらく、全女時代に与えられた数々のビッグマッチで会得したことだと思いますが、そもそもアジャ選手は誰に大きな影響を受けましたか?
アジャ 物心がついたころから男子プロレスは観ていて、女子ではビューティ・ペアの時代にいたビクトリア富士美さん。空手着を着ていて、私も空手をやっていたので共感して、観るようになったんですね。そのあと、また空手着を着ていたのが長与千種さん。女子プロレスラーになりたいと思ったきっかけは、長与さんでした。
プロレスラーになれて、プロレスのいろはを最初に教えてくださったのはジャガー横田選手。プロとはなんぞやということを教えてくれたのは、ブル中野さん。そのなかでも、体を張って私を叩きのめして、引き上げてくれたブル中野さんがいなければ、ここまでにはなれなかったでしょうね。