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「大谷翔平は知らない。でも渡辺は超有名でした」東北No.1だった天才14歳…今明かす“高校で伸びない”絶望「中3大谷と仙台育英の監督室で会った」―2024年上半期読まれた記事
posted2024/09/15 17:01
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
2024年の期間内(対象:2024年5月~2024年8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。大谷翔平世代部門の第1位は、こちら!(初公開日 2024年7月7日/肩書などはすべて当時)。
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渡辺郁也は当時、宮城一、もっと言えば、東北一の投手だったと表現しても、そう大きく間違ってはいないだろう。というのも小学6年生のとき、渡辺は楽天ジュニアのメンバーに選ばれ、2006年12月に行われたNPB12球団ジュニアトーナメントで実質的なエースとしてチームを優勝に導いてもいるのだ。
「あのときは県の大会はどうでもよかった。楽天ジュニアに選ばれることが目標だったんです。その年から、東北から集めると言われていたので」
大谷が“落選していた”楽天ジュニア
プロ12球団が地元の小学生たちをそれぞれに選抜し、大会を開催するのは2回目のことだった。楽天ジュニアは1年目、選手選考の対象を宮城県内に限定していたが、2年目からはその対象を東北エリアに拡大していた。渡辺の身長はその頃、165センチぐらいだった。小学生にしてはかなり大きい方だが、楽天ジュニアに入ると175センチの選手もいた。そのことには驚いたものの、同学年の選手のプレーを見て驚いたことはなかったという。
「すごいやついっぱいいるなぐらいの感じでしたね」
口では「すごい」と言っているが、まったくそうは思っていない言いざまだった。
12球団トーナメントは軟式ボールで行われるため、メンバーの大半が学童野球の選手たちだった。硬式野球出身の選手も少ないながらいたが、そのとき水沢パイレーツでプレーしていた大谷翔平は選ばれていない。
大谷はNumber誌1000号『<二刀流の未来地図>大谷翔平「絶対世界一に、と歩むが勝ち」』という記事の中で、このときのことについて触れている。
〈僕、小学校のときには(12球団ジュニアトーナメントの)楽天ジュニアのセレクションで落とされていますし、僕よりすごいと思う選手は東北にもたくさんいました〉